秀吉から秀長に送られた文書。黒田官兵衛が賤ケ岳の合戦に参戦した記述があり、左下に秀吉の花押がある=長浜城歴史博物館提供豊臣秀吉(高台寺所蔵)黒田官兵衛(崇福寺所蔵)=姫路文学館提供 【上野満男】羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と柴田勝家が戦った賤ケ岳(しずがたけ)の合戦(1583年)で、秀吉が前線にいる弟の秀長に作戦を指示した文書が発見された、と長浜城歴史博物館(滋賀県長浜市)が発表した。秀吉の軍師だった黒田官兵衛の参戦を裏付ける記述もあり、同館は、秀吉自身が戦場で指示をしていたことがわかる極めて貴重な資料だとしている。 文書は「羽柴秀吉書置(かきおき) 羽柴秀長宛」(縦30センチ、横45・4センチ)。同館が京都市の古美術商から購入した。羽柴、柴田両軍が長浜市北部の余呉湖周辺に砦(とりで)を構えて対峙(たいじ)していた頃の1583(天正11)年3月30日の日付がある。 長浜城にいる秀吉が前線