1.はじめにこの記事を読もうと思ってくださった方にまず感謝を申し上げます。そして最初に皆さんに謝っておきたいのは、このタイトルは少しでも多くの方に見ていただきたいと思った為にやや大胆なタイトルにしてしまいました。基本的に誇張的なことはあまり好きではないのですが、そうでもしなければ一人の人間がある情報による推測に基づいた正義感の集団リンチによって妥当ではない名誉の棄損を受け、社会的に抹殺されるレベルの仕打ちを受けたままになってしまうと思ったからです。もちろん当事者ではない私自身が見た情報の集積による推測なので誤りもの可能性も多分にありますが、多くの方々もある記事の一部を見ただけで彼の人格を推測しているので「こういう風にも彼の行動や人格を解釈できるのではないか?」という少し違った提案を私がしてもそこまで差し支えはないかと思いました。 (なお現在や過去にイジメの被害になって大きな傷を負っている当
ここ3週間のあいだずっと、コーネリアスのことを考えて続けている。今まで生きてきたなかで小山田圭吾、そしてコーネリアスについて思いを巡らせてきたことは何度かあった。ひとつはフリッパーズ・ギターが解散したとき、それから『Mellow Waves』が発売されたとき、そして2年前にコーネリアスにインタビューをしたとき。今回はなかなかヘヴィだ。ピエール瀧が逮捕されたときのことなんて、今となってはもう笑い話にできる。今回のことも時が経てばそうなるのだろうか。でもこの気持ちを書いておかなければならない気がする。何度も言うけれど、私がいまだにだらだらと文章を書き綴っている行為は、そもそも30年前のフリッパーズの解散からはじまったことだから。 先月発売された『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』のコラムでも触れたとおり、フリッパーズ・ギターは90年代の同時期に活躍していたミュ
はじめまして。タカムラです。 ちょっとした理由があって、noteをはじめることにしました。 わたしは現在、パートナーと暮らしています。わたしは音楽を聴くのがとても好きで、そのことについて書いていきたいと思います。でもわたしの愛する人はわたしをからかうことが好きなので、このnoteはバレないよう、こっそり書き進めていこうと思っています。 いま、「そうか、タカムラのパートナーは、タカムラをからかうのが好きなのか」と思われましたか?(加えて、ちょっと「キモっ」とも。)そう思うのは自然なことです。でも、おちついて考えれば、その思いにちゃんとした根拠はないことがわかります。 わたしは「パートナー」について、そして「わたしの愛する人」について書きました。この二つを並べると、ごく自然に、この二つをイコールで結んでしまいます。けれども、わたしとパートナーの仲は冷え切っていて、わたしは自分をからかうのが好き
【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】 ──名探偵・外山恒一の冒険4 「名探偵・外山恒一の冒険」シリーズ 1.オフィスVADの秘密(98年) 2.「アナーキー・イン・ザ・UK」の秘密(04年) 3.『ファイト・クラブ』──“映像の乱れ”の謎(16年) 1. さて皆さん。 北尾修一氏による勇気ある告発によって、〝コーネリアス〟こと小山田圭吾氏への今回の壮絶なバッシングの火元となったブログ記事が、文章能力の不足といった不可抗力の類ではなく、明白なる悪意に基づいて巧妙に構成されたデマ、要するにいわゆる〝フェイク・ニュース〟の類であることはすでに明らかとなりました。 「勇気ある」というのは、北尾氏はそもそも、小山田氏が自身のイジメ加害体験を赤裸々に告白したインタビュー記事が掲載された『クイック・ジャパン』誌の編集者であり、しかも問題のインタビューの場にも居合わせたというのですから、「身内をかばっ
【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】 小山田圭吾の「名誉回復」を希求している諸君。 SNSなどでたまに見かけるように、太田出版だのロキノン社だのといったFラン出版社や、小山田の作品を取り扱うFラン音楽会社に、ひたすら平身低頭して世間様に許しを請う以外のマトモな対応を期待するのは無駄である。もちろん日本のFラン・マスコミに報道姿勢を改めることを期待するのはもっと無駄である。 Fラン国家・日本、Fラン民族・日本人は、有史以来、「外圧」に屈する以外の形で自己を改めたことなどない。 私はまあ単なる趣味としてはフリッパーズ・ギターやコーネリアスをそれなりに愛聴してきたとはいえ、もともとそれほど熱心なファンというわけでもなく、なんか行きがかりでつい小山田擁護の論陣を張ってしまっただけだし、他のことで忙しくなってきたし、しかも英語がほとんどできないので、あとは諸君に任せる。かなりややこしい日本語文だ
※90年代に出版された雑誌記事に書かれた、いじめや暴力に関する具体的な記述を含みます。ご注意下さい。 小山田圭吾氏が開会式の作曲担当と公表されてから、ずっとこの問題を追いかけている。本件はいわゆる「キャンセルカルチャー」の代表例として語られることが多いが、事実確認が曖昧なままバッシングが加熱した事実がある。整理して見やすくするためブログにまとめることにした。追加で確認できたことは加え、一部訂正も含む。 最初に本記事の趣旨をまとめると 小山田圭吾氏が「いじめ」に関してインタビューで答えたのは 「ロッキング・オン ・JAPAN(1994年1月号、いじめに関する記述はP.30に記載)」 「クイック・ジャパン(1995年7月27日 Vol.3号「村上清のいじめ紀行」という企画)」 ※現在はインターネット上で、上記の2記事を全文読むことができる。 ※ロッキング・オン・JAPANについてはkobeni
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