1984年ロス、88年ソウル五輪男子マラソン代表の瀬古利彦氏(64)=日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダー=が13日、都内でスポーツ報知の単独取材に応じ、コロナ禍で懐疑論が根強い今夏の東京五輪への思いを明かした。瀬古氏は東西冷戦によるボイコットで、金メダルが本命視された80年モスクワ五輪に参加できなかった。「走って負けたら悔いは残らないが、走らないで負けるのは悔いが残る。許されるなら五輪をやらせてあげたい」と、選手に心を寄せた。(取材・構成=細野友司、太田涼) 【写真】1980年の瀬古利彦…世界一の証明が欲しかった 忘れ得ぬあの日から、もうすぐ41年になる。80年5月24日。日本オリンピック委員会(JOC)がモスクワ五輪不参加を表明。政治に翻弄(ほんろう)され、瀬古氏ら選手たちの“夢”は奪われた。当時は東西冷戦。今回はコロナ禍が世界に、そして五輪に暗い影を落とす。 瀬古氏「僕たちは