時期は昨年末ごろ。加害教師4人組の1人で、30代男性のA教師が、後輩教師の男女に対し、「お前ら、今日やらんかったら知らんぞ」などと脅迫の上、性行為を強要し、その証拠画像を撮影して送るよう指示していた。さらに「(証拠画像は)汚いからオレの携帯には送ってくんなよ」と命じた上、動画が報道されている「激辛カレー強要事件」の被害者であるX先生の携帯に、その画像を送らせたことも分かった。
和井(旧 y) @y37336878 本当にあいつら、とにかく反撃して来なさそうな相手を選ぶよな。 とにかく「従順さゼロ」「逆らって来そう」「黙って無さそう」という印象が必要なんだろうな。 2019-06-06 12:21:43 和井(旧 y) @y37336878 私自身は顔も服装も強めなので極端に痴漢や不審者の遭遇率が低い。 しかし以前駅でやたらと近くに立って顔を覗き込んで来た不審者に、前を向いたまま思い切り不機嫌な顔で舌打ちをしたらスッと離れて行って、少し後に私よりも小柄で大人しそうな女性の腕を掴んで怒鳴り声を上げていた事がある。 2019-06-06 12:24:26
『あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』 寮美千子=著 西日本出版社 1000円(税抜) ※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします 人生、何が起きるかわからない。一生の中でまさか自分が、刑務所にいる殺人犯や放火犯と深く関わるとは夢にも思っていなかった。 そして、彼らによって人間観のみならず世界観まで大きく変わり、自分自身さえ深く癒されるとは……。 奈良少年刑務所 ことの始まりは、2005年に長編小説で泉鏡花文学賞をもらったことだった。これを機に、わたしの夢だった「地方都市暮らし」を実行、デザイナーの夫とともに、親類もいない奈良に引っ越した。 まるで毎日が修学旅行のようで、あちこち見て歩いているうちに「奈良には明治の名煉瓦建築がある」と聞いた。それが『奈良少年刑務所』だった。 立派で風格があるのに威圧感がない。まるでお伽(とぎ)の国のお城
1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)が、「元少年A」の名で手記「絶歌」(太田出版)を出す。犯行に至った経緯や事件後の生活、現在の心境などをつづっている。早ければ10日から書店に並ぶ。 太田出版の岡聡社長は「少年犯罪が社会を驚愕(きょうがく)させている中で、彼の心に何があったのか社会は知るべきだと思った」と出版の意図を説明。「本は本人の手紙を添えて遺族に届けたい」と話している。 当時14歳だった元少年は、97年2~5月に同じ区内に住む児童5人を襲い、小4の女児と小6の男児を殺害、3人に重軽傷を負わせた。事件は社会に大きな衝撃を与え、刑事罰の対象年齢を16歳から14歳に引き下げる少年法改正のきっかけにもなった。 手記は全294ページ。「精神鑑定でも、医療少年院で受けたカウンセリングでも、ついに誰にも打ち明けることができず、二十年以上ものあいだ心の金庫に仕舞い込んで
事件の概要 2009/7/6、千葉で殺人事件が発生。 2ちゃんで犯行予告後、実家で同居する父親を刺殺。自ら通報し、逮捕された。 容疑者はたかゆき 20歳 ◆s5ax72QucYというハンドルネームで 7/1〜7/6の事件発生の直前まで2ちゃんねるに書き込みをしていた。 投稿内容によると、中学頃から不登校がちになり、引きこもり生活に。 親の愛情に飢えていた犯人は、自分に無関心な父親に憎悪し嫌悪するようになっていった。 166 名前: たかゆき 20歳 ◆s5ax72QucY 投稿日: 2009/07/04(土) 21:00:23 ID:01qI3RnN 父親は自分の事を嫌いだし、話しもしてくれないし。聞いてくれない。会話が全くない、 父親は自分が小学生の頃から自分に無関心だった。 なについても、旅行の思い出もないし、愛情を感じたこともない。父親を恨んでる。 寂しい、悲しい、なんで自分だけこん
「看病ぶりを褒められるのがうれしかった…」。入院中だった四女(8カ月で死亡)と五女(1)の点滴に細菌を含んだ液体を注入したとして、殺人と殺人未遂の疑いで岐阜県関市の無職、高木香織容疑者(35)が逮捕された事件。高木容疑者は、子供などを病人に仕立てて看病することで欲求を満たす「代理ミュンヒハウゼン症候群」である可能性が指摘されている。幼いわが子を懸命に看病する姿と、わざと症状を悪化させる行為。二面併存の母親について、専門家は「自分が認められたいという心理からの行動」とみている。 京都、岐阜両府県警合同捜査本部の調べでは、高木容疑者は、平成13年に入院先の病院で3歳で死亡した二女の看病について「『よくやっていますね』とほめられ、自分が認められてうれしかった」と供述。捜査本部は、高木容疑者がこのときの満足感を強く記憶にとどめていたとみている。 ミュンヒハウゼン症候群は「ほら吹き男爵」としての逸話
2008年11月16日 ネットカフェ難民にもなれなかった男の末路 ここでは表題の「ネットカフェ難民にもなれなかった男」のことを、仮に荻野光男と呼ぶことにする、この名前は彼の正確な本名とは異なっている。このエントリでは、彼について把握できる限りのことをただ単に書いていくだけであり、このエントリには何の未来も無いし、ただ彼の人生の一端が垣間見えるだけで、救われる者は誰もいない。 1 八月三一日、青葉唯石が渋谷のとあるマクドナルドでイー・モバイルを使ったネットの徘徊をしていたところ、一人の男が話し掛けてきた。男は荻野と名乗り、仕事が無いのでそのパソコンで日雇いのアルバイトの情報を検索させてくれと言う。唯石は面白がって、また人を集めるので翌日に再度ここに来て欲しいと告げるとその場でツイッターやらスカイプやら、様々な経路で人を集め、翌日には十数人が集まった。荻野は吃音がひどく、見知らぬ人に囲まれなが
八王子で模倣犯と思われる通り魔が人を殺した。2008年6月9日のメッセージ(http://d.hatena.ne.jp/izime/20080609)で予言した通りの事態が進行している。このままでは、あと数人は殺されてしまう。 朝日新聞2008年7月24日より、菅野昭一容疑者(33)の発言「大きな事件でも起こせば自分の名前がマスコミに出るだろうと思ってやった」 菅野容疑者が、秋葉原の事件報道に、どのように自分を重ねたてファンタジーにふけったかの供述が出次第、殺された女性の遺族は、メディア各社を訴えて当然だと思う。また、メディア批判がわき起こるだろう。 歪んだ人間が犯人に自分の「こころ」を重ねてファンタジーをふくらませやすいタイプの報道を避けるための、メディア業界のルールをつくるべきだ。自殺の連鎖を起こさないための自殺報道のルールのように、考え抜かれた犯罪報道のルールをつくる必要がある。 秋
事件の余熱が醒めない内に、こんな事を書くのはどうかとも思うのですが・・・ 去る2008年6月8日に秋葉原の歩行者天国で発生した通り魔殺人事件について、ちょっとだけ触れたいと思います。 まず、この事件は、私にとって非常に身近な衝撃を受けた事件でした。1995年のオウム真理教のサリン事件以来の衝撃でした。自分の身近な行動範囲内に、凶悪事件が入り込むという事実は、常にその危険性を想像していても、やはり衝撃的です。 犯人がゲーム・アニメ好きであったのは事実なようで、もしかしたら、自分が関わった事のあるゲームを、彼がプレイしていたかも知れません。 事件の後で「ゲームやアニメやマンガが、彼に影響を与えたと思いませんか?」という趣旨の発言が、いくつか出てきました。それについて、制作者の端くれとして、何か思うところは無いかと問われれば、私には忸怩たる思いがあります。 諸先輩の方々を差し置いて、僭越ながら心
秋葉原で8日、痛ましい事件があった。あそこにはウェブで活躍する人もたくさん集まるから、ネットは大騒ぎだった。 現行犯逮捕された容疑者は派遣で働き貧困の中、職を失う寸前の状態で、職場の借り上げだった借家からも出なくてはならなくなりそうだったらしい。 秋葉原通り魔事件 - 閾ペディアことのは 犯行前数日間から犯行直前に至るまで容疑者が書き綴ってきた掲示板への投稿が、こちらに転載されていたのを読んだ。 受けた印象は、正直に言えば「2chやはてなでよくクダ巻いてるスイーツ(笑)嫌いの非モテ」。 ウェブではものすごくよく見掛けるタイプだけに、えらい不安な気分になった。 いやわかってる。こんなのは例外的な事件だ。いくらモテないことを悲観してたりオタクだったりしてたからってそんなのは要因としては弱いはず。むしろそういった人間が増えて来て確率的におかしな奴も出てくるようになった。それだけのことだ。 理性は
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