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ブックマーク / supportista.jp (6)

  • 自分たちの待遇を良くすることよりも底辺拡大を - サポティスタ

    なでしこジャパンのW杯優勝で沸き上がった女子選手の待遇改善問題について、選手、監督のコメントをまとめてみた。 帰国会見で、女子選手の待遇改善について質問された澤はこう答えている。 「なでしこジャパンがW杯で優勝したことによって、これからサッカーを始めたい女子だったり、サッカーをする女子をもっともっと増やしていきたいこともあるので。今の女子は、中学校でサッカーができる環境がなかなかないので、そういうところにもっと力を入れていただければいいなと思っています」 中学時代のプレー環境について質問された川澄はこう語っている。 「わたしの地域は結構遠くにいかないとなくて。自分の小学校は女子サッカーが盛んで、そこの代表をやっていた方が中学のチームも作ってくれたので、わりと近くで続けることができました。自分たちの待遇を良くするということよりも、そういう底辺拡大の方が大事なんじゃないかと思います」 協会が海

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    t-rio 2011/07/20
  • 遠藤保仁がPKを止められる - サポティスタ

    大阪・遠藤保仁が5日のC大阪戦でPKを止められた。止めたのはC大阪のGK金鎮鉉で立石(千葉)、徳重(神戸)、川島(川崎、現リールス)に続く4人目の快挙となる。 遠藤コロコロPK 成功編 遠藤コロコロPK 失敗編 なお、試合は遠藤の決勝ゴールでG大阪が2-1で勝利している。 LINK 遠藤のPK止めた!金鎮鉉快挙も… (デイリー) PK職人・ガンバ大阪の遠藤自身が語るコロコロPKの秘訣 (UGBLOG)

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    t-rio 2011/03/07
  • 長友佑都、明大サッカー部太鼓担当から世界王者へ - サポティスタ

    1日、セリエA・チェゼーナに所属する日本代表の長友佑都が、同リーグの強豪インテルに移籍することが発表された。 明大サッカー部時代には太鼓担当をつとめ、鹿島のサポーターから「ウチで太鼓を叩いてもらえないか?」とオファーを受けていた長友佑都が、昨年のクラブワールドカップを制した世界王者のインテルへ。 小学校1年生の頃、「一番女の子にモテるスポーツ」だと思って始めたサッカーで世界の頂点を目指す。 明大サッカー部太鼓担当時代の長友さん(左は2005年頃、右は2007年9月)。 「1、2年生の頃は、ケガなどで試合に出場できない事が多く、試合の時は必ず太鼓を叩くのが僕の使命でした。正直、自分でも自己満足するくらいアフリカンなノリの太鼓は、大学サッカー界の話題をさらいました(笑)」 ■サッカー版今太閤 長友スゴロク■ 中学時代 ユースチームの入団試験で、平凡な選手と判断され、不合格 イジケてゲームセン

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    t-rio 2011/02/01
  • フットサルのすごいトリックプレー - サポティスタ

    キックインのボールをゆっくりとセットしたと思ったその瞬間……。見事なゴールを生んだ、フットサルのトリックプレー。ウクライナフットサルリーグより。

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    t-rio 2010/09/14
  • 原氏を糾弾する人たちは世界のサッカー事情を知らない - サポティスタ

    24日、次期日本代表監督の選考について会見を行った原博実強化担当技術委員長。一部報道陣からは代表監督決定が遅れていることに対する批判的な質問が飛んだが、ネット上では逆に、じっくり腰を据えて交渉にあたる原氏の姿勢を評価する声が多数見られる。 原さん、時間かかっても良いから良い監督を捜して来てね!!!! 今までみたいに、繋がりだけで監督を選んだり、人脈だけで選んでない時点で、日サッカーの進歩だとオレは思うよ!!!! 交渉がうまくいく、いかないは、次の話。今までは、ここまでも来てなかったんだから。。。less than a minute ago via webASAHI UEDA ASAHIMAN2010 今まで誰かの紹介とかJにいたとかそういう簡単な決め方しかしてこなかったわけで、自らリストアップし交渉に臨んだという、日サッカー史上初めての試みなわけで、大きな一歩だと思うよ私は。日の交渉

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    t-rio 2010/08/25
  • 不死鳥の如く世界最大の祭典にカムバックしてきた猛者たち - サポティスタ

    いよいよ各国代表もワールドカップに出場する23人が決定し、フットボリスタのガイドブックがようやく発売を迎えるといった時期になりましたね。そんな中、今回出場する選手の中でパ~ッとその名前を眺めていくと、個人的に最もグッとくる男がいます。その男の名前はファン・セバスチャン・ベロン。 2002年の日韓大会では優勝候補最右翼という前評判にも関わらず、グループリーグで敗退したアルゼンチンにおいて、元凶のような扱いを受けてしまったベロン。前回のドイツ大会も出場は叶わず、代表でのキャリアは終わったものだと見られていました。 しかし、2007年のコパ・アメリカで久々に代表復帰を果たすと、アルゼンチンの準優勝に大きく貢献。その後、監督がバシーレからマラドーナに替わってもポジションを確保し続けた結果、自身8年ぶりとなるワールドカップに堂々レギュラーとして帰ってくることになった訳です。当に応援したくなる選手で

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    t-rio 2010/06/04
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