■歪んだ歴史観に光を当てる『日本に古代はあったのか』(角川選書・1680円)井上章一著評・繁田信一(神奈川大特別研究員) はるか千数百年もの昔から、わが国と諸外国とでは、全く異なる時間が流れていたのだろうか。 京都大学系の中国史学は中国での中世の幕開けを、後漢の滅んだ3世紀のこととする。だが、日本史学者の多くは、わが国の中世のはじまりを10世紀から12世紀までの間に置く。したがって、日本と中国とでは、中世のはじまった時期が数百年も違うことになる。 一方、東京大学系の中国史学は、中国の中世のはじまりを、唐が滅亡した10世紀に見ており、これに従う限りは、中世の開始をめぐって、日本史と中国史との間に大きな齟齬(そご)が生じることはない。しかし、これでは、日本および中国は、西ローマ帝国が滅んだ5世紀に中世の幕開けを迎えたとされるヨーロッパに比して、400年以上も遅れて中世に入ったことになってしまう
奈良時代中期に東大寺(奈良市)が所領した荘園の範囲などを示した麻布製の地図(荘園図)が、奈良国立博物館(同市)の調査で見つかった。同寺に伝わった麻布製の荘園図はこれまで18点が正倉院宝物となっているが、今回の荘園図は、民間に流出し所在不明だったものと判明。地図としては最古級で保存状態もよく、国宝級の資料となりそうだ。 見つかった荘園図は「越中国射水郡鳴戸開田地図」(縦77センチ、横141センチ)。同館が調査を経て、昨年度古物商から購入した。 現在の富山県高岡市に当たる地域について「条里」という碁盤目状の区画で示し、地番や地名、面積などを記し、水路なども描かれている。荘園の境界を示す「堺」の文字があり、造東大寺司や同寺僧、越中国司の署名や「越中国印」なども確認できる。 東大寺の麻布製荘園図は19点のうち1点が江戸時代後期ごろ外部に流出して所在不明となっていたが、照合などで、今回見つかったのが
その皿は、太古の鮮やかな赤い色をとどめていた。 青森県の三内丸山(さんないまるやま)遺跡からは、縄文時代の人々の生活ぶりをしのばせるさまざまな生活や祭祀(さいし)に使われたとみられる道具が見つかっている。なかでも印象的なのが漆(うるし)製品だ。 漆器の技術については、これまではウルシノキとともに大陸から伝えられたという説が有力だった。しかし、9000年前の北海道の縄文遺跡から漆器が発見され、さらには日本各地の縄文遺跡から下地処理や重ね塗りなど技術的にも優れた漆製品が次々と発見されたことから、“渡来説”に疑問も出始めた。代わりに浮上してきたのは、この伝統技術が、縄文の森からもたらされ、それが現代まで途切れることなく受け継がれてきた−という説である。 青森県三内丸山遺跡対策室の岡田康博室長は「日本にも原料をとるウルシノキが自生していて、中国大陸と同時代、日本で独自に漆技術が発生したという説も最
【フリー壁紙】A CANDLE LOSES NOTHING by モンクレールウンアウトレット (12/20) 【フリー壁紙】A CANDLE LOSES NOTHING by ルイヴィトンコピー (01/04) 【フリー壁紙】A CANDLE LOSES NOTHING by コピーブランド (11/11) 【フリー壁紙】A CANDLE LOSES NOTHING by バーバリー 財布 メンズ (08/17) 無料で使える2010年カレンダーのまとめ by 浅見 晴美 (11/29) 日本には現在でも、明治・大正時代から存在する風情あふれるさまざまな歴史の軌跡が全国に残っていますが、その歴史には一体どんな出来事やストーリーがあったのでしょうか?それには私たちが知らない興味深い世界が広がっているはず。 今回紹介するサイト「MEIJI TAISHO 1868-1926」は、明治から大正と
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く