1月31日に公表された2001年下期の日銀金融政策委員会議事録に興味深いことが書かれている。中原伸之審議委員が同年11月16日、日銀による外債購入を提案していたことは知られていたが、それ以前の10月、須田美矢子審議委員、植田和男審議委員、中原真審議委員らが賛同していたことが明らかにされた。 当時、アメリカの同時多発テロなどで景気が悪化していたので、竹中平蔵経済財政担当相は「一歩踏み込んだ金融政策に私たちは大変、期待している」と述べていた。 そうした中、同年3月からの量的緩和について日銀は半信半疑だった。もともと00年8月のゼロ金利解除が間違いだったにもかかわらず、量的緩和に追い込まれたという被害者意識が日銀にあったのだ。 議事録でも、01年10月12日の会合で、速水優日銀総裁は「皆が価格が下がるのはデフレで大変だと大騒ぎされるのはどうかと思う」と、いわゆる「よいデフレ論」を展開し、山