やべ、一行たりとも感想が書けない。このblogを選書の参考にしている奇特な方もいらっしゃるようなので、書けない。どう書いてもバレになる。こんな小説は珍しい。 常態から異常事態へ。このお話を「狂気」の一言で片付けられたらどんなに嬉しいことか。しかし、どこも狂ってないのがおそろしい。だいたいヒトを「正気」と「狂気」の2色で塗り分けようとすること自体がおかしい。正気の中にも狂気を宿し、狂っていても一貫性を見出そうとするのが、ヒトだ。 これは、その変移を味わう小説。賛否両論の「驚愕のラスト」は○○○○したが、「他にどんな終わり方を望む?」と自問して、飲み込んだ。 兄が死んだのは、ぼくが十三のときだった。線路を渡ろうとして転び、第三軌条に触れて感電死したのだ。いや、それは嘘だ。ほんとは……。ぼくは今、ウィーンで作家活動をしている。映画狂のすてきな夫婦とも知り合い、毎日が楽しくてしかたない。それなのに
郵貯の話を選挙後に書くことほど間抜けな事も無いので、頑張って書いてしまう事にする。ざっとネット内外の記事をさらうと、今回の郵貯改革と財投(特殊法人)改革の問題を絡めて議論しているところが多い。これは必ずしも間違っていないのだが、5年前の改革の経緯を踏まえた議論が少なく、そのせいで論点が少しずれてしまっているものも少なくなかった(そして、例によってマスコミはそういうことを説明しない!)。そこで、今回はまず5年前の財投改革の概略を説明した後で、この財投改革で郵貯の収益システムがどう変化してきているのかを整理してみたい。 「大蔵省の第2の財布」 ぐだぐだ説明するよりも、以下の図をご覧いただきたい。5年前の財投改革以前の資金の流れ方だ(数字は郵政公社発足直前の資産残高の内訳)。 郵便貯金の大半は大蔵省の資金運用部に預託され、資金運用部がその資金を何とか公団といった特殊法人に貸し付けていた。一部の資
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