「毒食」にも反省しない非道徳中国 ≪3度目の日本式読みかえ≫ 今日、社会道徳のゆるみを引きしめるべく社会的地位と評価のある方々が、多く中国の『論語』を取り上げ、その著書はベストセラーになるとともに、大いに世の木鐸(ぼくたく)となっている。だが一方、現代の中国に目を転じれば、アメリカに鉛入りのおもちゃを売り、パナマに毒入り歯磨き粉を送り、今度は毒入り餃子で日本人を震撼(しんかん)させた、「日に3度反省しない」非道徳的な中国像があり、前者との間のギャップは容易には埋まらないのではないだろうか。 物事には変わる部分と変わらない部分があるので、まず変わる方からいえば、『論語』というのは、紀元前の孔子とその教団の教えであり、21世紀の日本に直接もってくるには絶対的な無理がある。古代エジプトのミイラをよみがえらせる呪文(じゅもん)のようなものが、日本独自の読みかえであり、この読みかえ技術を江戸時代の私