朝永博士は1906年、東京で生まれました。4人兄弟の2番目で姉と弟、妹がいました。哲学者だった父親の朝永三十郎(さんじゅうろう)が京都大学の教授となったため博士は一家で京都に移り住むことになりました。朝永博士は小さいときから体が弱く、病気がちで両親をとても心配させました。学校も休みがちでした。朝永博士自身、子供のころを振り返り「気が弱く泣き虫でよくメソメソと泣いていた」と語っています。 小学校3年生のとき、朝永博士は雨戸の節穴(ふしあな)から差し込む光によって、庭の景色が逆さになって障子(しょうじ)に映し出されていることを発見します。このしくみにとても興味をもった朝永博士は、机の引き出しにあった節穴のあいた板をはがして、机の下に立ててみました。それから、紙のスクリーンをつくって同じことがおこるかどうか試してみたのです。すると、スクリーンにはみごとに外の景色が映し出されました。自分だけの小さ
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