『我が大学はいかなる国民・人種・民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、 キャンパス内にヒトラーの銅像が飾られていたら「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、 ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、 ウルバヌス2世の銅像が飾られていたら「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、 コロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になります。 同様に、福澤諭吉像は「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人と友人になるつもりはありません」という無言の主張になります。 だから福澤諭吉像