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2010年12月26日のブックマーク (4件)

  • 警察にひどい扱いを受けたら - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    暴行を受けたために保護を求めて警察に電話すると、被疑者扱いをされた上に、DNAサンプルをとられそうになったという経験談がweb上で話題になっている。 「烏賀陽弘道さんが体験した警察の横暴」 http://togetter.com/li/82613 読んだ人の多くが驚き、憤っている。 警察は、「社会の秩序を守る」のが仕事であり、「個人ひとりひとりの生活を守る」ことはない。だが、「市民を守る」という言い方で、まるで警察が自分たちの見方であるような錯覚を起こしやすい。警察官の中には誠実で良い人もいるだろうが、集団としては暴力行為を容認される権力を持った人たちだと捉えたほうがいいだろう。警察・検察関係の取材を重ね、事情をよく知る烏賀陽さんでも、対応では苦労されている。 ブックマークコメントでは、「こういう場合、どうすればいいのか?」「相談窓口はないのか?」という声があがっているので、紹介しておく。

    警察にひどい扱いを受けたら - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 曖昧な基準は問題か - mohnoのブログ

    ネタがないわけではないけど、やはり気持ちを途切れさせるといけないと思う今日この頃。連続してしまうが、ふたたび東京都の青少年条例について考えてみる。 コミック10社会の声明 「東京国際アニメフェア2011」への協力・参加を拒否する緊急声明につきまして」という声明が角川の公式サイトで公開されている。例によって、「東京都青少年の健全な育成に関する条例改定案」に反対するものだ。この声明は、反対の意を唱えているのだが、具体的にどうしたいのか分かりにくい面がある。いや、可決したことに異議を唱えていることはわかるのだが、 我々は、東京都が今後、上記付帯決議の精神に則って、作家の表現の自由や出版界の自主的な努力を尊重しつつ、改定条例の慎重な運用を行っていくことを強く求めるものです。 と言ってみたところで、東京都には「慎重に運用しますよ」と言われるだけだと思う。そもそも、 出版界は長年にわたり自主規制として

    曖昧な基準は問題か - mohnoのブログ
  • 「相手を不快にする権利」、一応の結論 - こぐま座

    1.経緯 まず、手短にこれまでの経緯を説明する。知っている方は飛ばしてくださってかまわない。 (1)ジャーナリストの烏賀陽(うがや)弘道氏が、 言論の自由には、相手を不快にする権利も含まれる。(1964年のアメリカ連邦最高裁裁判所判決) http://twitter.com/hirougaya/status/2980882499510272 とツイートする。 (11月11日) (2)私、はてなハイク経由でこのツイートを捕捉。その意味するところにつき疑問を感じ、「1964年のアメリカ連邦最高裁判決」に直接あたって確認する必要を感じる。なお、その判決はおそらくNew York Times Co. v. Sullivan,376 U.S. 254(1964,サリバン事件判決)だろうと推測するも、確定不能。*1(同12日−13日) (3)私、ツイッターアカウントを取得し、1964年のアメリカ連邦最

    「相手を不快にする権利」、一応の結論 - こぐま座
    tahate
    tahate 2010/12/26
    それでも「不快にする権利」も言論の自由に含まれるというのは違うだろう。あくまで程度問題。
  • 自分自身をプレゼンしない人ほど、他人に興味をもたれやすい - ひらめき箱

    自分をプレゼンしない人ほど他人に興味をもたれやすいのかも、っていう内容で深夜につぶやいたものをまとめてみました。 「コミュニケーションに興味がある」っていうのは、実はほぼ「自分に興味がある」ということと同じ意味。如何に自分を上手に分かってもらえるか、そこに焦点が当たっているので。 http://twitter.com/fta7/status/18760642173337601# 自分に興味がある人は、自分を研究した結果、「あれ、これって自分以外の人間にも言えることなんじゃね」っていうノウハウが貯まってくるから、それを公開するとわりと皆に喜ばれるんだけれども、どうしてもそこに「自分を知ってくれ」っていう不純物が混入しがち。それは逆に人をイラッとさせる http://twitter.com/fta7/status/18761116440072192# 苦しい時に漏れ出るような言葉が人の心を捉え

    自分自身をプレゼンしない人ほど、他人に興味をもたれやすい - ひらめき箱
    tahate
    tahate 2010/12/26
    『「コミュニケーションに興味がある」っていうのは、実はほぼ「自分に興味がある」ということと同じ意味』って前提がすでに違うような。