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考えるに関するtaishitaのブックマーク (5)

  • 琥珀色の戯言

    魔女狩りのヨーロッパ史 (岩波新書 新赤版 2011) 作者:池上 俊一岩波書店Amazon Kindle版もあります。 魔女狩りのヨーロッパ史 (岩波新書) 作者:池上 俊一岩波書店Amazon 一五~一八世紀、ヨーロッパ文明がまばゆい光を放ち始めたまさにそのとき、「魔女狩り」という底知れぬ闇が口を開いたのはなぜか。その起源・広がり・終焉、迫害の実態、魔女イメージを創り上げた人たち、女性への差別――進展著しい研究をふまえ、ヨーロッパの歴史を映し出す「鏡」としての魔女と魔女狩りを総合的に描く。 僕が生きてきた、1970年代から現在(2024年)までの日では、「魔女」という存在に、そんなにネガティブなイメージはないのです。「男を狂わせる魔性の女」とかアニメの「魔法少女」とか、テレビゲームライトノベルの世界でも「魔女(魔法使い)もの」は定番ですし。 もちろん、中世のヨーロッパでは、現代から

    taishita
    taishita 2011/01/09
    原作と映像か作品で印象が随分違うみたい。TVで感動しすぎたか、原作あたって考えた方が良さそう。
  • 才能の枯渇について - 内田樹の研究室

    クリエイティヴ・ライティングの今年最後の授業で、「才能」について考える。 天賦の才能というものがある。 自己努力の成果として獲得した知識や技術とは違う、「なんだか知らないけれど、できちゃうこと」が人間にはある。 「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。 外部からの贈り物である。 私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。 才能は「贈り物」である。 外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。 それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。 どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。 私はそのように考えている。 才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。 私がこれまで見聞きしてきた限りのこ

    taishita
    taishita 2010/12/26
    内田氏の経験則"自分は世のため人のために何をなしうるか、という問いを切実に引き受けるものだけが、才能の枯渇をまぬかれることができる。"
  • 「貧困ビジネス」を擁護する – 橘玲 公式BLOG

    「簡単にお金を儲ける方法はありませんか?」と聞かれることがある。たいていは「そんな都合のいいことは無理ですよ」と常識的にこたえるのだけど、実は世の中にタナボタみたいな話はけっこう転がっている。それらはたいてい、制度の歪みから生じる。 「ニューヨークのホームレス」で貧困ビジネスのことを書いたのは、6年前の2004年だ。でも私はそれよりずっと前に、知り合いの精神科医からこの新しい商売のことを聞いていた。空き家になっているアパートの家主が地元のヤクザと結託して、ホームレスに部屋を貸して生活保護を申請するケースが出てきて、福祉事務所が困惑しているという話だった。 彼と話しながら、これに規模の経済を導入すればものすごく儲かることに気がついた。廃ビルを改装し、新宿や上野でホームレスを集めてきて、生活保護から家賃・光熱費・費を回収する。このビジネスのスゴいところは、リスクがない(お金は日国が払ってく

    「貧困ビジネス」を擁護する – 橘玲 公式BLOG
  • 【シェアな生活】所有と消費が美しい、という時代は終わったのか?――『ブックシェアカフェ』菅谷洋一氏インタビュー(1/4)|ガジェット通信 GetNews

    【シェアな生活】所有と消費が美しい、という時代は終わったのか?――『ブックシェアカフェ』菅谷洋一氏インタビュー(1/4) 所有と消費が美しい、という時代は終わったのか? かつて僕たちの周りにはモノが溢れかえっていた。誰もが欲しいものを手に入れ、自分自身で所有したがった。でも、それって当に自分で所有する必要があったんだろうか。たまにしか使わないものを自分の部屋に置いておくことに意味なんてあったんだろうか。一回しか読まない棚に並べる理由なんてホントのところはないんじゃないだろうか。 たまにしか着ない服、たまにしか乗らない車。それってレンタルでいいんじゃないだろうか。時代が変わり、”所有と消費”そのものの意味が再考されているような気がする。 積極的な非所有、楽しみのための”シェア” もちろん、高額なものに関しては”節約”のために『非所有』を選択する場合もある。 しかし、それだけではなく、

    【シェアな生活】所有と消費が美しい、という時代は終わったのか?――『ブックシェアカフェ』菅谷洋一氏インタビュー(1/4)|ガジェット通信 GetNews
  • 海上保安官事件にある「組織の人間だから」という批判は正当か? - モチベーションは楽しさ創造から

    海上保安庁の保安官が、逮捕されないという事が決定しました。 この事件に関してみなさんはどう考えているでしょうか? この事件は ・情報セキュリティという観点 ・法的な観点 ・組織論的な観点 の3つの視点で考えていく必要があるでしょう。 私は、組織論的な観点から、この事件を考えてみました。 よく街頭のインタビューの中で、「組織の中の人間なんだから、あのような行為はマズイ」という人が大勢いました。 読売新聞にも以下のような記事がありました。組織の統制取れなくなる…海保「見送り」に驚き 「主任航海士を擁護する声もあるが、もし刑事罰に問えないようなことになれば、組織として統制が取れなくなる」と話した。一方、主任航海士が所属する神戸 海上保安部(神戸市)の職員の一人は「検察や警察の判断は妥当だが、人への処分は必要だ。それが組織というものだ」と漏らした。 こんなコメントが載っています。 私は、このよう

    海上保安官事件にある「組織の人間だから」という批判は正当か? - モチベーションは楽しさ創造から
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