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思想に関するtaitai55のブックマーク (4)

  • 自己組織化は設計可能か──スティグマジーの可能性

    今回筆者が編集部から依頼されたテーマは、「きたるべき秩序とはなにか」というものだ。その論考に入る前に、自己紹介もかねて、稿を執筆するに至った背景や経緯について簡単に記しておきたい。 昨年から筆者は、さまざまな場所でウェブ上の新しい「秩序」に関する論考を発表する機会に恵まれてきたが★1、そこでキーワードにしてきたのが「生態系」や「生成力」といったある種の生命論的・生態学的なメタファーであった。インターネットの大衆的普及からはや10年以上が経過したが、そこでは種々さまざまなコミュニティやそれを支えるアーキテクチャ(人工構造物)が日々発生・成長・淘汰を繰り返しており、その全容を見渡すことは極めて難しくなっている。筆者はまずその現象に切り込むための解読格子として、「生態系」をはじめとする生命論的なメタファーを採用したのである。 ■ しかし、ただちに注釈しておかねばならないのは、こうした生命系のメ

    自己組織化は設計可能か──スティグマジーの可能性
  • そんなの常識 - 内田樹の研究室

    西宮大学交流センターのインターカレッジ西宮というイベントに出かける。市内にあるいくつかの大学から講師を派遣して、共同テーマで講義をするのである。 今回のお題は「常識のウソ、ホント-私たちの常識を再考する」というものである。 私は人も知る「常識原理主義者」であるので(そんなものはないが)、日は「常識の手柄」というタイトルでお話をする。 「常識」についてはこれまで何度も書いているが、「そんなの常識だろ」というのは私たちがものごとを判断する上で、たいへんたいせつな知性の働きである。 まず、第一に「常識」というのは即自的に「常識」であるわけではないからである。 私が「そんなの常識だろ」と憤然と言った場合でも、言われた当人は「お前の言うことのどこが常識なんだよ。何年何月からそれが常識になったんだ。どこからどこまでの地域で常識なんだよ」とただちに反論する権利が保証されており、私はその異議に対しては絶

  • (音声のみ) シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」 1/7‐ニコニコ動画(ββ)

    2009年1月28日 東京工業大学にて開催された、シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」の模様です。 司会:東浩紀 パネリスト:浅田彰、磯崎新、宇野常寛、濱野智史、宮台真司  ※先に動画を上げてくださった方、ありがとうございました。音声のみ(低音質)&細切れですが、よろしければお楽しみ下さい。  ■プログラム 1/7:東氏挨拶、濱野氏基調講演 2/7:宇野氏基調講演 2/7途中から7/7最後まで共同討議   2/7→sm5980501

  • Perfume『シークレット・シークレット』 - the deconstruKction of right

    僕はパフュームのブームにのれない。他のパフューム論というのはいくつも出ていると思うが、あまり参照しないで、僕の「のれなさ」は何なのか一人で勝手に考えていた。基的にこの動画を見てもらえば分かるように、「現実のフィクション性」=「書割性」を表現しているように思う。そこまでは別にいい。しかしそれは随分前のメタフィクションとかSFで随分やったような気が……*1 というのが「のれなさ」の第一要因。そして音楽的にはクラフトワークやYMOとかDEVOとかとの違いがよくわからない(彼らにあった「笑い」性が「萌え」や「切なさ」に変わってしまった。僕はDEVOとかかなり好きなのだが)。人間を機械のようにする、というのはクラフトワークそのまんまだしなぁ、そこに「アイドル」という操作されている「人形」じみたものが挿入されているのが違う点だろうか。ゼロ年代的に、過去の意匠を簡単にサンプリングできているこの安易さこ

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