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メディアに関するtaiz-yのブックマーク (8)

  • 奥田君インタビューはそんなにひどくない

    ニュージーランド地震で足を切断しながら生還した奥田建人君へのフジテレビ「とくダネ!」のインタビューがひどいという批判がツイッターやネットで広がっている。まだ見ていない人は、実際に映像を見て欲しい。 そんなにひどいだろうか? インタビュアーがむりやり言葉を引き出そうとしているわけでもないし、足を切断したという相手の状況にそれなりに配慮した聞き方をしている。プロの記者が奥田君に話を聞いて「足切断」について聞かないことはありえない。 おそらく初出と見られる朝日新聞2月23日付夕刊の五十嵐大介記者の記事も、奥田君が足を切断した事実について触れている。足切断の事実と、「仲間がどんどん下に落ちていった」という表現があってはじめて、今回の地震の被害の大きさと、今後議論になるだろうニュージーランドの建造物の耐震構造問題の深刻さが読者に伝わる。繰り返すが「かわいそうだから聞かない」というのは、職業人としての

  • メディア論と社会分化論から考える言語コミュニケーションの多元性と複合性 (HTML版)

    このブログの主目的は、(1)英語教育について根的に考え直すこと、(2)英語教育現場の豊かな知恵をできるだけ言語化すること、(3)英語教育に関する良質のコミュニケーションを促進すること、です。このブログでの見解などは柳瀬個人のものであり、柳瀬が所属する組織や団体などのものではありません。 1 序論 1.1 背景 学校教育の「英語」に関する議論の特徴の一つは、それが世間の耳目を引く大きく単純な言い方で語られることである。小学校英語教育も、狙いや詳細が不明瞭なまま導入という基路線だけが決定された(大津 2004, 2005, 2006, 2009)。2008年12月に公示された高等学校新指導要領でも「授業は英語で行なうことを基とする」という文言はマスコミの注目するところとなり、多くの全国紙がこれを第一面で報道した。しかしこの指示が、高校英語教育の様々な状況を軽視した短兵急なものであることは

  • むらログ: 映画の予告編+iPadで日本語教育

    映画の予告編が編よりも授業に使いやすいことがあります。 なぜなら、無料で合法的に公開されているからです。 youtubeなどでも、cinematodayやmoviecollectionといったチャンネルがあります。 こういった大手のものは、著作権者に無断で公開しているとは考えにくいでしょう。 つまり、コストがかからなく、法的リスクも少ないわけです。 また、映画の予告編は語学の教材に非常にいいと思います。 なぜなら「見るかどうか決める」という判断を伴うからです。 何らかの判断材料にするためのインプットは、そうでないインプットに比べて、はるかに深く関わることになります。 また、映画の予告編は、「予告編を見てその映画を見たくなった人が、予告編をまだ見ていない人に説明して一緒に見にいこうと誘う」というかなり現実的な状況設定ができます。 また、映画の予告編はごく数分であるという点も非常に語学の教材

  • いまさらながら、「朝まで生テレビ~若者不幸社会~」東浩紀 ”退席” に思う - 橋本治とナンシー関のいない世界で

    「上野駅から夜汽車に乗って」改題 とうとう橋治までなくなってしまった。 平成終わりの年にさらに改題してリスタート。 東浩紀が堀紘一と対立し、「もうやってらんないよ」と席を立つ騒動となった今回の朝生。ツイッターで、「退席」というつぶやきを見て、いったい何が!と思っていたが、夕べやっと、録画してた番組を見た。 かつての野坂昭如と大島渚の怒鳴り合いを知る世代としては、なんか久々の爽快感だった。東浩紀がガチで切れてたというのもあるが、この「退席」騒動で今回の放送、救われたみたいなもんだ。 パネリストはこんな感じ。 東浩紀(早稲田大学教授、批評家) 猪子寿之(チームラボ代表取締役社長) 河添誠(首都圏青年ユニオン書記長) 勝間和代(経済評論家) 清水康之(NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」代表) 城繁幸(Joe's Labo代表取締役、作家) 高橋亮平(NPO法人「Rights」副代

    いまさらながら、「朝まで生テレビ~若者不幸社会~」東浩紀 ”退席” に思う - 橋本治とナンシー関のいない世界で
  • どこで読むのか - 茗荷バレーで働く編集長兼社長からの手紙―ルネッサンス・パブリッシャー宣言、再び。

    先日お目にかかった女性の研究者の方が、子育て中で、お子さんのサッカーの試合で、(紙の)、専門書を一人で読んでいるというのは難しいが、kindleなら、(暇つぶしに遊んでいるように見えるので)中身が専門書であろうと、端末を操作している、という方に見えるので、気にしないで「書籍」を読めると言っていた。 これは確かにそうだ。kindleなら、他のお母さんたちが雑談しているときに「書籍」を読んでいたとしても、場違いではないように見える。 電子書籍のユニークかつ重要な読むシーンと思う。紙のを読んでいると何だか、その場から浮くというのはどうしてなんだろう。居酒屋で文庫を読んでいても浮かない場合とこの居酒屋で文庫を読んでいるのはかなり場違いでしょうというのはあるし、ラーメン屋で週刊誌を読むのがその場に合うこともあるのに、ラーメン屋のオヤジにマンガ読んでいるんじゃない、と怒られてしまう場合もある。 し

    どこで読むのか - 茗荷バレーで働く編集長兼社長からの手紙―ルネッサンス・パブリッシャー宣言、再び。
  • 一人でもやれること - atutake's diary

    f:id:atutake:20100603172259p:image 資料請求数が2年で2倍に Z会への資料請求数が、2年で倍増した(日経産業新聞2010年5月31日付4面)。もちろん、何もせずに、ではない。そんなことはあり得ないわけで、では何をしたのか。テレビCMをがんがん流し、新聞広告も全国版全15段ぶち抜きで、主要4紙にに出しまくった、わけではない。 まったく違う。もしかしたら、リアルなコスト(=ハードマネーという意味ですね)は、その1万分の1ぐらいしかかけていないのではないか。にもかかわらず、どうして、そんなことができるのか。知恵を使っているからだ。 知恵を使い、ネットが生み出した新しいメディアを、フルに活用しているからだ。Z会といえば、以前にもこのブログで紹介したことがある(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20090217/1234857795)。

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  • 透明性の低いコミュニケーション | smashmedia

    ごめんなさい。smashmediaのブログは削除されました。 10年に渡り、あちらこちらに書き連ねてきましたが、ご愛読いただきほんとうにありがとうございました。またリンクしてくださった方にも、心からお礼申し上げます。 以下、少し駄文を書きます。 ブログには「パーマリンク」という基的な考え方があり、すべての発言や記事は半永久的に固定されたURLによって公開され、未来におけるアクセス権(閲覧可能性)を担保するという、じつに素敵なコンセプトなのですが、一方で古い情報が永遠に残り続けてしまうという弊害も生んでいます。 ブログというものが「ストック」であるならば、そこに書かれた内容に対して、書き手であるブログ運営者は責任をもつべきで、自らの考え方が変われば内容を更新し、状況や情報が変われば現在にあわせて修正すべきです。 でも現実問題として、そこまでさかのぼって更新や修正をできるほうが稀で、結果とし

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