タグ

2008年10月30日のブックマーク (7件)

  • 真実の言葉はいつも短い - 情報考学 Passion For The Future

    ・真実の言葉はいつも短い 劇作家、演出家の鴻上尚史が20代~30代半ばにに書いた文章を、自選で編んだ傑作エッセイ集。若い世代に読ませるためにまとめたようだ。テーマは主に表現論、演劇論、恋愛論、人生論。 最初になぜ鴻上は演劇を志したのか、どうやって劇作家や演出家になったのか、そのとき何を考えていたか、が赤裸々に語られる。 「トレーナーのエリの部分を頭の上まで引っ張り上げて、『ジャミラ!』と言い切った新人には、柿のタネが飛びました。よせばいいのに、そいつは、そのまま、『スピードスケート選手!とだめ押ししました。『ほっかほっか亭』の唐揚げが飛びました。唐揚げは、当たると痛いのです。 つまりは、表現するとは傷つくことで、下手でもとにかく、傷つかないと始まらなくて、それを、無傷なまますごそうとする人間たちには、地獄の観客達は容赦なかったのです。」 第1章「演劇なんぞというものを」、若き鴻上が入部し

  • 飲んだら読むな、読むなら飲むな「ウルトラヘヴン」

    読むクスリなんだが、週刊文春の小話集ではない。読むドラッグ、しかも「最上級のペーパー・ドラッグ」だ。 オビにある、謳い文句に偽り無し。酔って読むとダイレクトに作用してくるので、かなり危ない。アルコールは感情や感覚の増幅器にすぎないから、飲みながら読むとバッド・トリップになること請合う。呑んでジェットコースター乗っちゃダメのと同じだし、アルコール入りセックスが深いのと一緒。 近未来――多種多様なドラッグの発明によって、好みの精神世界を体験できるようになったはいいが、違法ドラッグの危険性も桁外れになっている。「人間やめますか」どころじゃない、人間じゃないナニカにまでなろうとするのね。 見所というか酔いどころは、究極のドラッグを求める主人公のトリップシーン。皮膚の表裏の区別がつかなくなり、体そのものが裏返しになる感覚や、メタ現実を時系列に、しかも何層にもわたって知覚するイメージ群がすさまじい。主

    飲んだら読むな、読むなら飲むな「ウルトラヘヴン」
  • 表現力のレッスン - 情報考学 Passion For The Future

    ・表現力のレッスン 演出家 鴻上尚史が早稲田大学などで教えてきた表現力向上のレッスンを書籍化したもの。20のワークショップを紙上で体験できる。舞台出身らしく声と身体を使った表現力に徹底的にこだわる。 レッスンでは身体接触がやたらと多い。後ろのパートナーの支えを信じて倒れ込む「信頼のエチュード」に始まって、パートナーを彫刻に見立てポーズを作る、とか、目隠ししたままパートナーの姿勢を手で触って真似する、など、自分や他人の身体で遊ぶレッスンが基である。こうした日常にない身体体験を通して、隠れていた自分の身体の表現力や感情を発見するのがねらい。 これを男女混ざった大学の授業でやっていると学生達はさぞドキドキ・ワクワクだろうなと、想像してしまった。実際、授業では過剰に意識する男女がいるので、鴻上が「異性を触りながら飢えてるぜ光線を出さないように気をつけましょう」などと注意している様子が可笑しい。

    taizouzo
    taizouzo 2008/10/30
    「表現とは、まず、本人が楽しむことが大前提」
  • 好奇心は少女を殺す「少女が知ってはいけないこと」

    「そりゃやっぱり×××でしょうゲヘヘ」なんて邪な心で読んだら、豪快に投げられた。 少女論のフリをしているものの、書は物語論、しかもアニミズム的説明知まで深堀りしている学術寄りの論文集。ギリシア神話や北欧伝承、古事記、ディズニー映画「美女と野獣」を読み解いて、「説明知としての物語」を詳らかにしている。 amazonにある惹句「大人のための物語論」は絶妙で、「眠れる美女」が起きないことをいいことに、イタして孕ませたりする伝承や、天真爛漫な「ラプンツェル」を○○して××する挿話など、「オトナの」要素に事欠かない。(余談だが、「ラプンツェル」は、ディズニープリンセス映画として来夏に公開される。○○して××するところは物語の性質上不可避なので、どう演出されるかが見所) 実は、お題そのものに欺瞞が隠されている。「知ってはいけない」という禁止は、禁止対象を示すことになり、そもそも知らずに済んだことを

    好奇心は少女を殺す「少女が知ってはいけないこと」
  • 文章は接続詞で決まる - 情報考学 Passion For The Future

    ・文章は接続詞で決まる 「「てか」を好んで使う人は、すぐに新しい話題に移りたがる飽きっぽい人かもしれませんし、「ようするに」が口癖の人は、結論を急ぎたがるせっかちな人なのかもしれません。「でも」をよく使う人は、他人の言うことを素直に受けいれるのが苦手な頑固な人である可能性があります。「だから」を使いたがる人は、自分の主張を人に押しつけたがる押しの強い人かもしれませんし、「だって」を好む人は、言い訳が癖になっている、自己防衛能が強い人かもしれません。」 接続詞の使い方を見ると隠れた性格がわかるという話。特に講義のような独話では接続詞は書き言葉の2,3倍も多く使われるそうだ。シーン別によく使われる接続詞ベスト5の比較が面白かった。文章のらしさは接続詞が決めている部分も多そうだ。 新聞:しかし、また、だが、一方、さらに 小説:しかし、そして、それで、だが、でも 講義:で、それから、そして、つま

  • 元気をくれるドキュメンタリー映画3本が11月に公開! - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    TBSラジオ「ストリーム!」毎週火曜日午後2時「コラムの花道」 今回はこの11月に日で公開される必見のドキュメンタリー映画を三紹介しました。 『未来を写したこどもたち』11月22日(土曜日)からシネスイッチ銀座、他で公開。 3年前から、このコラムの花道や雑誌で紹介してきた、アカデミー長編ドキュメンタリー部門受賞作『売春窟に生まれついて』がようやく『未来を写した子どもたち』という邦題で日公開されます。 ↓2005年に「コラムの花道」で紹介した時のMP3ファイルがダウンロードで聴けます。http://podcast.tbsradio.jp/st/files/20051230_ye_20050517.mp3 ザナ・ブリスキというイギリス人女性が、インドのカルカッタにある売春地帯の子供たちにカメラを与え、写真の撮り方を教えることで、子供たちに未来を与える。 そして写真展の収益で子どもたちを寄

    元気をくれるドキュメンタリー映画3本が11月に公開! - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: だめな国は何をやってもだめ「最底辺の10億人」

    「だめな奴は何をやってもだめ」という箴言は、国にもあてはまるのかもしれない。 すなわち、「だめな国は何をやってもだめ」。国家まるごと腐りきっており、大統領から警官まで賄賂と蓄財に勤しむ。国家経営は破綻し、令状のない逮捕、裁判のない拘留、嘘選挙がまかりとおる。行政機関は国家資を強奪するために存在し、軍部の武器は国内に向けられている。 まず、資が流出し、次に教育のある労働力が逃げ出す。大統領命令でお札を刷りまくり、「超」のつくハイパーインフレになる。援助は指導者の蓄財にまわされ、海外の銀行に貯め込まれる。社会資として回転しないから、経済の発展もない(アフリカ最貧国の指導者の多くは、世界でも超富裕階級に属している)。 そして、外からの非難に対し、大統領は「レイシスト」だと反撃する。国家の荒廃は「元」宗主国の陰謀だと断じ、仮想敵をつくりだすことによって自分への不満をすりかえる。結果、部族間の

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: だめな国は何をやってもだめ「最底辺の10億人」