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2024年1月13日のブックマーク (8件)

  • 「神保町は人情のある街」三宅裕司さんを育てた街、神田神保町3丁目 - SUUMOタウン

    編集: 小沢あや(ピース株式会社) 取材・構成: 伊藤美咲 撮影:小原聡太 俳優やタレントとして活動しながら、劇団の座長やビッグバンドのバンマスとドラムも務める三宅裕司さん。 三宅さんは東京都千代田区神田神保町で生まれ育ち、28歳まで住んでいたとのこと。映画館や古屋といったカルチャーが集うこの街は、一体どのように三宅さんの人生に影響を与えたのでしょうか。 マルチな活躍を見せる三宅さんに、生まれ育った神保町の思い出や通ったお店、かねてから提唱してきた「東京の笑い」について伺いました。 神保町の街全体に育てられた幼少期 ―― 三宅さんの出身地である神保町は、昔どのような街だったのでしょうか。 三宅裕司さん(以下、三宅):私が生まれ育った神田神保町3丁目は、街全体で子どもたちを育てていたんですよ。家同士のつながりも密でしたし、よその子でも叱るおじさんがいました。 子どものころ、細い路地ですれ違

    「神保町は人情のある街」三宅裕司さんを育てた街、神田神保町3丁目 - SUUMOタウン
  • ゆっくり独自の大人になれた街・富士見ヶ丘|文・伊藤紺 - SUUMOタウン

    著: 伊藤紺苦しい時期に出会った、富士見ヶ丘の変な部屋 その家には玄関がなかった。と言うと必ず「窓から入んの?」と聞かれてしまうのだけど、ドアはあった。けど、玄関がない。正確に伝えるならばドアを開けて、を脱ぐスペースがなくて、ドアを開けたら即フローリングなのだ。 大きな窓だらけで開放的……というかほぼ外で、冬は極寒、夏は灼熱&アシナガバチの巣ができ、危ない。春〜秋は家の中で小さい虫を見かけない日はなかったし、外壁にはいつもヤモリがくっついていた。 なぜそんな部屋に住んでいたかと言うと、広くて日当たりがよくて、駅近だったから。京王電鉄井の頭線・富士見ヶ丘駅から徒歩1分。2分もあれば改札を通って、電車にも乗れる。南向きの角部屋。窓の外には生い茂る緑が見え、高校時代を過ごした大好きな浜田山駅の2駅隣というのもよかった。 富士見ヶ丘駅の第一印象は閑静な住宅街、という感じだった。駅前のチェーン店と

    ゆっくり独自の大人になれた街・富士見ヶ丘|文・伊藤紺 - SUUMOタウン
  • 歌人・穂村弘が語る、「お金と物質」以外の価値観を求める人へ、荻窪・西荻・吉祥寺の魅力。 - SUUMOタウン

    編集: 小沢あや(ピース株式会社) 取材・構成: かなめゆき 撮影:小原聡太 荻窪・西荻窪・吉祥寺エリアで20年以上暮らす、歌人の穂村弘さん。短歌はもちろん、 “日常で感じる感覚のズレ”など、世界を新鮮な角度から照らすようなエッセイでも人気を博しています。 そんな穂村さんは、中央線のこのエリアについて「物質とお金という軸以外のパラレルワールドを求める人に向いている」と表現します。その意味とは? 西荻は「戦闘力の低い人が多い」ゆるやかな空気感が魅力 ―― 荻窪・西荻窪・吉祥寺のエリアは、クリエイターの中でも書籍関連のお仕事をする方が集まる印象があります。実際はいかがでしょう。 穂村弘(以下、穂村):ライターさんや編集者だらけですね。短歌関係の人も多くて、枡野浩一さんや、木下龍也くん、古くは中井英夫も西荻にいたみたい。この辺りに自由業の人が集まるのは、やっぱり平日の昼間に大人がうろうろしていて

    歌人・穂村弘が語る、「お金と物質」以外の価値観を求める人へ、荻窪・西荻・吉祥寺の魅力。 - SUUMOタウン
  • 胃袋を掴まれる街「西荻窪」|文・木下龍也 - SUUMOタウン

    著: 木下龍也 人生が安定しそうになると、その安定が壊れてしまうことを想像して苦しくなる。そんなとき僕は、諦める、辞める、別れる、去る、などの方法で不安定になることを選んできた。いつでも逃げられるように深入りはしないようにしてきたし、そこに留まれば得られたはずの安定から逃げてきた。具体的な事例を書けないのは、それで傷つけたり、失望させたりしたであろう人の顔がいくつか頭に浮かぶからだ。 ひとつだけ書いておくなら、僕はおそらく父を失望させている。2016年に宅地建物取引士の資格を取得し、「東京で修行してくる」と父に申し出て、父の経営する山口県の不動産会社から東京の不動産会社へ転職をした。 住む場所として西荻窪を選んだのは、その会社に通勤しやすく、高いビルのない街の風景が地元に似ていたからだ。けれど2020年、僕は不動産業界から離れて、歌人として生計を立て始めた。そのことを直接は父に言っていない

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  • 「芸人になりたい」僕をつくった三重という故郷|文・永見大吾(カベポスター) - SUUMOタウン

    著: 永見大吾(カベポスター) こんにちは。僕はカベポスターというコンビの永見と言います。 今回は地元・三重についてのエッセイをというお話を受けてこれを書いているのですが、正直に言うと僕は三重の観光スポットやお店についてあまり詳しくありません。なので、自分が大阪のNSCに入学し、芸人になる以前に暮らしていた、三重での個人的な思い出を振り返りたいと思います。 地元が近い人以外にとっては「そもそも三重ってどこだっけ?」って感じかもしれませんね。立ち位置としては近畿地方で、愛知と奈良に挟まれて若干気まずそうにしているのが三重です。 関東と関西のちょうど中間にあることから、三重にはいろんな地域の人が集まるのが特徴です。僕は大学時代、地元の名張市から離れて大学のキャンパスのある津市に下宿するようになったのですが、「〜だよね」と喋る人がいるんや、と驚いたのを覚えています。名張は奈良にくっついている地域

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  • 実家が讃岐うどん屋だった僕 「香川県」の思い出の店記憶探訪|文・初瀬悠太(ななまがり) - SUUMOタウン

    著: 初瀬悠太(ななまがり) 僕は生粋の香川人? それとも半分香川人?僕は四国・香川県高松市に生まれ、実家が讃岐うどん屋という生粋の香川人だ。 高校を卒業して19歳で大阪に行き、大阪芸術大学で学生生活をしながら3年生の時に吉に入り、「ななまがり」として芸人デビューをした。大阪に9年住んだ後上京し、現在東京に住んで早10年目。つまり、今年で香川に住んで18年、香川を出て19年目になる。 ん? 今この文章を書いてて気付いた。香川に住んでいた年数を超えてしまっていた。 僕は親不孝者でたまにしか香川に帰らないので、どんどん地元の記憶が薄れていってしまっている。方言も検索してみて「そういやこんな方言あったなぁ」と思ってしまう程だ。 どこが生粋の香川人だ。悔しい! いや、はがい! 最近はありがたいことに、香川県住みます芸人の梶剛さんによる特大イベント『かじ祭り』、同期のすゑひろがりずとのツーマンライ

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  • 芸人のすべてを受け止めてくれる街「中野」|文・伊藤幸司(ランジャタイ) - SUUMOタウン

    著: 伊藤幸司(ランジャタイ) (画像/PIXTA)中野の地下では、いつもしょうもない事件が起きている「てめえ!ふざけんじゃねーぞ!」 怒号がなかのzero視聴覚ホール地下2階に響く。小坊主が、首根っこをつかまれた。 「やめろ〜!」 小坊主の正体はガロインというコンビのツッコミの薗田。薗田をつかんだのは、あるライブの主催者の女性だ。 「なんだ〜!ふふふ」 強がりなのか、つかまれたことが面白いのか、なぜか半笑いだ。 「ぜってぇ許さねえからな!ふざけんな!」 「怒りすぎだろ〜、ふふふ」 楽屋から引きずり出された。 「すぐ電話するからな!待ってろ!」 「なんだあ、やめろ〜。ふふ」 ぷるるるる、ぷるるるる。かちゃ。繋がった先は、グレープカンパニーだ。 「御社所属のガロインさんが、ライブ出演でもないのに、勝手に楽屋に侵入して、ケータリングのお菓子をべてたんです。ガロインさんは、うちのライブ出禁にさ

    芸人のすべてを受け止めてくれる街「中野」|文・伊藤幸司(ランジャタイ) - SUUMOタウン
  • 何でもないけど、宇宙には近い街「淵野辺」|文・久保勇貴 - SUUMOタウン

    著: 久保勇貴 日の未来は淵野辺にある……のか?何でもないこの街に来た時、僕もまた、何者でもなかった。大学4年生の春、JAXA相模原キャンパスを見学しに、初めてこの駅に来たのだった。JR横浜線の淵野辺というその駅は、ちょうど東京と神奈川の県境、相模原市にあるらしかった。一人暮らしを始めてからはずっと都心にばかり住んでいたから、どこやねん、というのが第一印象だった。 その街は、何でもなかった。快速が止まらなくて、駅前のロータリーにバスとタクシーと交番があって、線路沿いには餃子の王将とドトールと巨大な自転車置き場があった。タピオカミルクティー屋は一軒もなかったけど、タピオカみたいな形の銀色のモニュメントが鎮座していた。 しかし、何でもないこの街は、宇宙の街ではあった。市のアピールポイントの一つとして「宇宙を身近に感じられるまち さがみはら」を掲げていて、特にJAXA相模原キャンパス最寄りの淵

    何でもないけど、宇宙には近い街「淵野辺」|文・久保勇貴 - SUUMOタウン