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ブックマーク / technique.hateblo.jp (3)

  • 練習と稽古 - Freezing Point

    先日のエントリのことでお話をご一緒していたら、 精神科医・美術批評家の三脇康生氏より 試合より、練習のほうが重要 というアイデアを頂いて、そこからずっと考えています。 練習というのは、非常にふしぎな概念です。 たんなる精神でも、たんなる身体でもない。 概念はふつう、一挙に丸ごと手に入るものですが、練習というのは、時間的なことを設計しなおさなければならない。概念そのものに、素材と時間要因が同時に含まれています。*1 イタリア精神保健のイベントで感じたことでいうと、 いくら素晴らしい議論を誰かがしても、それを受け止める準備ができていなければ、なんだか綺麗ごとの理念で終わってしまいます。だとすると、重要な議論をそれとして持続できるようになるためには、それに応じた、集団的な《練習》が必要にもなるでしょう。 ――長い時間をかけて、いろんな方とご一緒したいような、議論のふくらみを感じています。三脇氏が

    練習と稽古 - Freezing Point
    takanofumio
    takanofumio 2013/12/18
    演劇畑では伝統芸能ばかりでなく新劇や小劇場でも「練習」でなく「稽古」って言うなあ。ただの習慣という気もするけど。
  • 仏教徒: 「ポストモダンて何もしてない」 - Freezing Point

    『ビッグイシュー(168号)』に、中島岳志氏と、 『お寺カフェ』*1、『彼岸寺』*2 の松圭介氏 の対談が掲載されている(参照)。 仏教については、虚無をめぐる考え方がずっと気になっているのだが、 父が死んだときの葬儀屋と僧侶が、あまりに耐え難い人たちだった 俗世秩序を単に肯定し、変革を否定する抑圧思想ではないかという疑念*3 などから、少なくとも現存する社会インフラとしては、「巻き込まれてはたまらない」と思っていた*4。 以下、上の記事より(強調は引用者): 中島岳志: 私は今36歳なので、20歳の時が95年なんですね。松さんは? 松圭介: 79年生まれ、31歳です。 中島: 95年にオウム真理教事件と阪神大震災があったんですが、私はポストモダンの延長上にある思想に非常に違和感を覚えていて、親鸞とか保守思想みたいなところに軸足を置いていったんです。松さんが学生だった90年代後半は

    仏教徒: 「ポストモダンて何もしてない」 - Freezing Point
  • 「母親のおかげで、ヤクザから恩恵を受けてきた」 - Freezing Point

    宮台真司『日の難点 (幻冬舎新書)』pp.95-6より: そんな母親の構えのお蔭で「自分の母親は世間の母親よりもずっとスゴイ」と思えました。そうした母親の子であったせいで「浅ましい奴」や「セコイ奴」には絶対なりたくないと思うようになったのでしょう。これも「目的」や「手段」ではなく端的な「衝動=感染的模倣」だろうと思います。 もちろん、そんなふうにしてできあがった僕の構えが実利をもたらす面が確かにあります。それはスピノザも言っていることです。僕の場合、売買春やクスリのフィールドワークをする際にヤクザにケツ持ちしてもらってきました。お蔭でこの方面でたくさんの著作をものすることができました。 女の子がストーカーにつきまとわれて困っているというようなときも、警察に頼んだら(ストーカー規制法成立以前だったので)半年以上もかかるところを彼らが三時間で解決してくれることもありました。僕の研究に役立つ情

    「母親のおかげで、ヤクザから恩恵を受けてきた」 - Freezing Point
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