武者小路実篤が周作人にあてた手紙武者小路実篤が周作人にあてた手紙「君の三十余年の友情を感謝して」と添え書きのある武者小路実篤の手紙 小説「友情」などで知られる作家の武者小路実篤(むしゃのこうじ・さねあつ=1885〜1976)が、中国人作家の魯迅(ろじん)の弟にあてた手紙の実物がみつかった。44年ごろのもので、第2次世界大戦中は戦争に協力的だったとされる実篤が、戦争末期には国策追従の文学者から一定の距離を持っていた様子が読み取れる。 手紙は、魯迅の弟で文学者の周作人(1885〜1967)にあてたもの。周と、戦争支持派の作家片岡鉄兵との論争を仲裁する目的で書かれた。論争のきっかけは、43年8月に開かれた国策に協力する文学者の会議。知日派とされる周は参加せず、そんな周を片岡は国策に非協力的だと非難していた。 手紙はペン書きで、原稿用紙5枚にしたためられている。封筒には筆で「周作人兄 武者小
昭和初期に発行された大阪の郷土研究誌「上方」の発行人で、町人学者として活躍した郷土史家、南木(なんき)芳太郎(1882〜1945年)の日記が発見され、大阪市史料調査会から発行された。同会は「『上方』は、江戸時代や戦前の大阪を知る貴重な資料。日記を通じ、郷土史研究に大きな足跡を残した人物を身近に感じてもらえれば」としている。 南木は大阪・ミナミ生まれ。道修町の薬問屋に勤めながら、歌舞伎や落語などの芸能関係を中心に、大阪について幅広い分野の資料を集めた。これらは「南木コレクション」として知られ、戦災を免れた一部は大阪城に保管されている。 南木は、大正末期から昭和初期の大阪で御堂筋が拡張されたり、地下鉄が建設されるなど近代化が進んだ一方、伝統や文化が失われていくことを憂い、昭和6年、郷土研究誌「上方」を創刊した。 今回、「南木芳太郎日記−大阪郷土研究の先覚者(パイオニア)−」と題して発行される日
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く