環境意識の高まりで広がりを見せる電気自動車。ただ、戦前戦後にかけて市民の足として大阪市内を電気バスが走っていたことはあまり知られていない。充電に時間がかかり、走行距離も短かったが、電池を「交換式」にすることで、課題をものともせずに活躍していた。その「交換式」は、半世紀以上を経て別の形で再び脚光を集めている。 大阪市北区の天神橋筋6丁目付近にあった2カ所の充電所。「バスは3時間おきに戻り、電池の交換を5分ほどで終えると、またすぐに出発していった」と大阪府茨木市の首藤功夫(しゅとうのりお)さん(93)は振り返る。 1937年、大阪市営の電気バスが大阪市内を走り始めた。首藤さんはその翌年、電池の保守・点検を行っていた湯浅蓄電池製造(現・GSユアサ)に入社。電気バスの電池の改良に携わり、いまは当時の資料を収集している。 「音がせず、最初は乗る人も歩く人も驚いた」というが、すぐに親しまれた。多い時期
一生に3度は「モテ期」が来ると聞いた。38歳、1回目がないのはルックスの問題か。かたや赴任先のイランでは、高い鼻の美男美女ぞろい。でも、鼻に白い絆創膏(ばんそうこう)の人がやたら多い。あれ? 絆創膏のワケをイラン人の同僚に聞いてみた。 「美容整形の痕。鼻を低くする手術を受けたんだろう」。え、わざわざ低く? 国際美容外科学会イラン支部長のファラバシュ医師(53)を訪ねた。「知らないのかね、イランは美容整形で最先端だ。整形医の数は3600人で、米国、ブラジルに次ぐ。中でも鼻の施術数は世界一。鼻の頭がツンと上を向くよう付け根を削るのが流行だ」 でも、整形はイスラムの教えに反するんじゃない? イスラム法学者の見解では、自らの体を傷つける行為に当たるから原則禁止だ。例外的に「劣等感を取り去る、心の病の治療」なら認められるという。だが、テヘランの整形医院で誰に聞いても、そんな様子はない。形骸化している
印刷 店頭の水槽で冷やされる「水まんじゅう」=岐阜県大垣市、越田省吾撮影 岐阜県大垣市の名物「水まんじゅう」が今年も店頭に並び、街中に涼しさを漂わせている。 豊富な湧き水に恵まれ「水の都」として知られる大垣市の夏の名物。ほの甘い餡(あん)を、くず粉やわらび粉を炊いた透き通るような皮で包んだ和菓子だ。 老舗の菓子店「金蝶園(きんちょうえん)総本家」の店頭の水槽では、おちょこに入った水まんじゅうが冷たい地下水に浸され、買い求める人の列がでていた。 関連リンク岐阜県のニュースはMY TOWN岐阜でも
インドネシアのジャワ島中部ムラピ山一帯で5日、噴火による火山灰から避難する人々=ロイター 【ジョクジャカルタ(インドネシア・ジャワ島)=郷富佐子】インドネシア・ジャワ島中部のムラピ山(2968メートル)が4日深夜から5日未明にかけて大規模な噴火をし、火砕流などで約70人が死亡した。先月26日の最初の噴火を上回る被害が出ており、死者は計110人以上、避難民は15万人を超えた。同山から約30キロ離れたジョクジャカルタ市内も火山灰に覆われ、騒然としている。 政府の発表などによると、5日未明に火砕流が周辺地域を襲って69人が死亡した。火砕流や火山泥流は火口から17キロ下まで達し、立ち入り禁止地域が、これまでの15キロから20キロに拡大された。 ジョクジャカルタ市にあるサルジト病院には、5日早朝から救助隊によって死者やけが人が次々と運ばれた。病院内の建物には袋に包んだ遺体が何十体も安置され、遺
上海万博の会場=日吉健吾撮影6月上旬、上海万博を訪れた竹内宏氏=上海、奥寺写す 史上最大規模の万博が上海で開かれています。実は1980年代に日本人が提案したのがきっかけだったという説があります。北京で中国の要人に「五輪よりも経済効果が大きい」と提案すると、計画が急速に進みました。天安門事件などで一時頓挫しましたが、26年越しで現実に。「井戸を掘った人のことを忘れない」と感謝する中国関係者も少なくありません。 ◇ 84年秋、北京。旧日本長期信用銀行(現新生銀行)の訪中団が、中国の政治の中枢、中南海を訪れた。海外要人を出迎えるきらびやかな応接間で、副首相だった王震氏らと向き合っていた。 同行調査部長で、訪中団の実務を取り仕切っていた竹内宏氏(79)が当時の様子を振り返る。 「中国も万博開催を考えてはいかがでしょう。高度経済成長には万博に限ります」 副頭取だった菅正保氏と竹内氏
東京都心のホームレスの3割以上は知的機能に障害があるとみられることが16日、精神科医や臨床心理士らで作る研究チームの調査でわかった。精神疾患も4割以上にあった。知的機能を含むホームレスのメンタル面に関する専門家による初の実態調査という。ホームレス施策に障害者支援の視点も必要だと同チームは指摘する。 池袋駅周辺で路上生活を送る人たちを支援する研究チーム「ぼとむあっぷ」が、昨年末に調べた。本人の同意が得られた167人を対象に面接調査や簡易知能検査をした。平均55歳で全員男性。最終学歴は小学校が2%、中学校が56%だった。 その結果、軽度の知的障害がある人が28%、中度の障害の人が6%だった。知的障害が軽い人の精神年齢は9〜12歳程度で、ものごとを抽象的に考えるのが難しい。中度では6〜9歳程度で、周囲の助けがないと生活が難しい。 精神科医の診断で19%にアルコール依存症、15%にうつ病が認
食文化調査から見たカンボジア2010年5月14日15時42分 移動中、ジャングルから裸足の男性が飛び出してきた。「捕まえたばかりの子鹿はいらんかね」という。食肉用だそうだ 夕食会が催されたクルン族の村に到着。会場となった高床式民家の周りには、大勢の村人が集まってきた 四角に切られたバナナの葉には陸稲が盛られ、村の男女が次々と料理を持ってきてくれた 土間には酒ツボが並び、カメラのレンズも曇るほど、熱気と湿気が充満した 酒ツボの口は、もみ殻などで封印されている。そこに「巨大ストロー」を刺して、皆で回し飲みするのだ 「豚の刺し身は食べるんじゃない!」 世界中の食物を口にするA教授も、さすがに危険を感じて団員たちを制止した。しかし、時、すでに遅し。「おいしい!」という歓声と共に、何人かの胃袋には、もう収まってしまったのだ。 カンボジアでの食文化調査旅行は、当時、まず日本人が訪れることがなかった、カ
カンボジアの国民的スナック2010年5月6日12時32分 プノンペンの中央市場で、国民的スナック「タランチュラの素揚げ」を買うおしゃれな女性。調理されたコオロギやタガメも並んでいる お願いすると、タランチュラを千切って口に入れてくれた 中央市場で売っていた、皮をむいた食用ガエル 少数民族の村で見かけた料理風景。高床式民家の玄関先だ カンボジアの代表的な民家の風景。高床式民家と豚の親子。豚は、換金可能な大切な財産だ 「さあ、乾杯だ!」 食文化研究で有名なA教授が音頭をとると、巨大な竹製の円形テーブルを囲んだ学生たちは、ゴクリとつばを飲み込んだまま固まってしまった。目の前に、所狭しと並べられていたのは、手のひら大で真っ黒な、毛むくじゃらの「タランチュラの素揚げ」、お頭と卵巣付きでトグロを巻いた「蛇の串揚げ」、黒光りした「巨大タガメの素揚げ」……。およそ、日本では見られない料理ばかりだったからだ
武者小路実篤が周作人にあてた手紙武者小路実篤が周作人にあてた手紙「君の三十余年の友情を感謝して」と添え書きのある武者小路実篤の手紙 小説「友情」などで知られる作家の武者小路実篤(むしゃのこうじ・さねあつ=1885〜1976)が、中国人作家の魯迅(ろじん)の弟にあてた手紙の実物がみつかった。44年ごろのもので、第2次世界大戦中は戦争に協力的だったとされる実篤が、戦争末期には国策追従の文学者から一定の距離を持っていた様子が読み取れる。 手紙は、魯迅の弟で文学者の周作人(1885〜1967)にあてたもの。周と、戦争支持派の作家片岡鉄兵との論争を仲裁する目的で書かれた。論争のきっかけは、43年8月に開かれた国策に協力する文学者の会議。知日派とされる周は参加せず、そんな周を片岡は国策に非協力的だと非難していた。 手紙はペン書きで、原稿用紙5枚にしたためられている。封筒には筆で「周作人兄 武者小
全国菓子飴大品評会で電飾された広島県商品陳列所(現・原爆ドーム)=広島県菓子工業組合提供「森永ココアホール」ののぼりが掲げられた喫茶店。後方にはカーブが特徴的な3枚の窓が写っている=広島県菓子工業組合提供 世界遺産・原爆ドーム(広島市)を88年前に写した写真が大量に見つかった。広島県商品陳列所と呼ばれた1921年当時に、第4回全国菓子飴(あめ)大品評会(現・全国菓子大博覧会)を開いたときの記録。被爆前のドーム内を鮮明にとらえた写真がまとまって見つかるのは珍しいという。 ドームを内外から写した写真は約40枚。品評会会長も務めた故・住田千代松氏の孫、二郎さん(同市在住)の自宅で発見された。広島では2013年に92年ぶりの全国菓子博が開かれることになり、広島県菓子工業組合が問い合わせて存在が分かった。 電飾された全景をはじめ、室内に設けられた全国各地のお菓子の陳列ケース、喫茶店、混雑するら
完成した黒豆を手にする土井信子さんしわが寄らずふっくらとした黒豆の完成弱火で長時間煮込むにはカセットコンロが便利7〜8時間煮る。途中絶対にフタを開けない故土井勝さん 本紙の投稿欄「声」で、いま、黒豆が熱い。話題の的は料理研究家として知られた故土井勝さんの煮方です。ふっくら、つやつやの黒豆を家庭で。30年前の記事を切り抜き、いまも参考にしているというお便りに、「うちもそうです」「私もつくりたい」とたくさんの反響が届いています。妻の土井信子さん(77)に作り方を再現してもらいました。 ◇ 「大切に切り抜いている」とお便りにあった記事は、78年12月29日付の本紙家庭面(大阪本社版)の「黒豆の煮方」。勝さんが編みだした黒豆の作り方を、おせち用に紹介している。それは「最初から調味料をきちっと量って入れてしまうのが、いちばんの特徴」。勝さんのコメントはこうだ。 〈豆は、昔から「だましだまし
そうめんを天日で干す谷口明博さん、逸子さん夫妻=大阪府枚方市穂谷3丁目、三島写す 江戸時代から大阪府枚方市で続く「河内そうめん」の生産者が、残すところ1軒になった。農家の副業として始まり、機械をほとんど使わない昔ながらの製法を守ってきたが、後継者が育たなかった。「今年で最後かも、と毎年思う。支えは待っててくれるお客さんです」。谷口明博さん(72)と妻の逸子さん(63)は心を込めて白糸を紡ぐ。 青空が広がった早朝、そうめんを天日で乾かす「かど干し」が始まった。「風が弱いな」「扇風機いりそうか」――。庭に出た2人は乾き具合に気を配りながら声をかけ合い、2本のはしを巧みに使って手延べしていく。1晩寝かせためんが、みるみる2メートルほどに細長く伸びていく。 「一年で最も寒い1、2月に乾いた北西の風が吹くと、締まった最高の品ができます」。谷口さんは日焼けした顔をほころばせた。 河内そうめんは
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