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吉本隆明に関するtakashi-onoのブックマーク (8)

  • [書評]吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉本隆明,・糸井重里): 極東ブログ

    今日、NHK教育で22:00~23:29に、ETV特集「吉隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」(参照)が放映される。いちおう録画予約を入れた。リアルで見ることはないと思うし、予約がこけることもないと思うのだけど、そうだな、ワンセグのほうでもダブルで予約入れておくかな。 戦後思想界の巨人と呼ばれ、日の言論界を長年リードしてきた吉隆明(よしもと・たかあき)さん。84歳になった今も、自らの「老い」と向き合いながら、思索を続けている。 吉さんは、目が不自由になり読み書きがあまりできなくなった。足腰も弱り、糖尿病を抱えている。しかし、2008年夏、「これまでの仕事をひとつにつなぐ話をしてみたい」と親交のあるコピーライター糸井重里氏に協力を依頼し講演会を開いた。 とういこと。 かなりたぶん、この講演のころ出版された「吉隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉隆明,・糸井重里)」

  • 猫猫先生の疑問 - finalventの日記

    ⇒誰にでも小説は書ける? - を償うにをもってせよ 吉隆明はどうやって生計を立てていたのだろうと思ったら、44歳の時に著作集が出ていた。すごい。今なら福田和也だって著作集なんか出せないだろう。 吉の特許事務所の翻訳バイト生活が終わったのはいつだったか。そのころだったように思うが、著作集の上がりではたしかえないのではないか。それとあの著作はある意味で、昭和史の資料の側面がある。 吉は自身を売文家としていた。を出すのは飯のためであって思想のためではないと。 では思想もそうなのかというと、そこはけじめをつけるためにカネにもならない「試行」を出していた。試行のなかで吉はカネが欲しいとよくぼやいていた。 吉はしかし1冊だけ、思想のためにを書いた。 「反核」異論 (1983年): 吉 隆明 あとがきが面白い。

  • そういえば - finalventの日記

    ⇒2008-08-09 - 南無の日記 ⇒吉隆明という巨人 - 愚民の唄 - コンテンポラリィ・ユニットG これね⇒「 心的現象論論: 吉 隆明: 」 おや読者評が妙に低いなと思ったら。 悪夢が再びー, 2008/7/23 By 柴風 (青森県弘前市) - レビューをすべて見る 書は、吉同伴知識人による、吉TEXTの、商業主義的囲い込みの極致である。 山哲士はかつて、「吉隆明が語る戦後55年」と題し、「週刊読書人」紙上に掲載されたインタビューを水増しし、なんと1冊2千円もするを12分冊で読者に売りさばくという、資主義的大手出版社も顔負けの商法で、吉思想を寡占しようとした輩である。 そして今度は、未刊の主著である「心的現象論」の論を、なんと8400円という高値で売りさばこうというのである。新たに書き起こされたものではなく、過去に雑誌掲載されたものをまとめれば良かった

  • [書評]よせやぃ。(吉本隆明): 極東ブログ

    反省した。吉隆明はもう耄碌してしまってほとんど終了かな、人間身体の限界だからしかたないでしょ、とも思っていたのだが、ぜんぜん違う。まあ読む人にもよるのだろうけど、この対談集に出てくる80歳過ぎた吉の迫力は、私がむさぼるように吉を読んでいた二十年前を思い出させた。この対談書はとにかく驚きだった。 実際には、彼は自筆だと「極東ブログ: [書評]家族のゆくえ(吉隆明)」(参照)のような優れた部分と限界も見える。これはざっくばらんに言ってもいいかと思うが、吉隆明の対談書はほとんどがゴミだ。対談者の思い入れや編集者の思い入れが奇妙に自己露出的だったり倒錯的に自己禁欲的だったり、あるいは過剰に解説的だったりする。それでいてフーコーやボードリヤールとかだとまるで対談が成立しない。自筆の書籍になると、文章が彼も下手くそなんだろうと思うけど、普通に読んでいては何を言っているのか皆目わからない。と、

  • 小熊英二に寄せる脱力: 極東ブログ

    たまたま「小熊英二さんに聞く 戦後日のナショナリズムと公共性 『七人の侍』をみて、『これが戦後思想だな』と思った」(参照)をざっと読んで、脱力した。最初に断っておくが、小熊英二を批判したりくさしたいわけでは毛頭ない。と、うんこ投げの防御を張っておく。 まず、このインタビューなんだろ?と思ったらブントなわけね。もうそれだけで、脱力する。が、ま、読んでみるかぁ。と読んで、さらに脱力。よくわかんないですぅ。 私は「〈日人〉の境界」はざっと読んだが、「〈民主〉と〈愛国〉」は読んでいない。大池文雄とかに触れているのだろうか?だったら、ちと読んでみたい気もするけど、「〈日人〉の境界」の感じだったら、なんか読むだけ無駄だなという印象がある。 インタビューを読んでさらに、小林よしのりに対抗している部分があるらしいと知ってさらに関心を失う。 意外に吉隆明への言及が多いのに不自然というか変な感じもした

  • 吉本隆明シンパの私としては - finalventの日記

    はてなブックマーク - 『サンデー毎日』9月3日号 それを読んでないのでなんともいえないが、吉翁らしいなとは思った。 アンパンマンさんらとは話がどうにも通じないので無用な軋轢はさけたいと思うのだが、率直に言って、たまたまぶくま経由で見たsynonymousさんの意見が、へぇ、と思った。批判ではないが、ちょっと。 2006年08月26日 synonymous 所詮戦場を知らぬ吉ではあった。 また対応エントリコメント欄に。 そんな吉に頼らなければ、左翼から身を守れなかった人たちがいた時代ってのもあったわけですね。 synonymous | 08.26.06 - 1:39 pm | # synonymousさんが、吉を「所詮戦場を知らぬ」とそのまま理解されているのだろうか。 この問題は、私は「戦場をよく知っていた」山七平と「所詮戦場を知らぬ」吉隆明の図としてときおり考えることがある

    吉本隆明シンパの私としては - finalventの日記
  • 吉本隆明に教わったことは多いが - finalventの日記

    その一つは、人はただ生きているということか。そういうふうな表現ではなかったが。 これを読んで思い出した。 これ⇒黒崎夜話: 高い空 黒崎さんのエントリ構造がわからないので、あんこの部分は別の引用なのかもしれないが。 また、黒崎さんにはプロの意識があるようだが。 吉に戻る。 私が吉隆明のを読み出したのは、院を出てからの1983年ごろだ。今思うとネットの黎明期でもあった。 以前にも書いたが私は恩師?のつてで反核署名集めのパシリをしていた。ダイインとかにはさすがに行かなかった。なんとも言えない違和感だけがあり、たった一人取り残され、放り出され、いろいろ考えたなかで、この、「反核」異論、に出会った。 それから手に入る吉はかたっぱしから読んだ。 ネットで知り合った年上の人から吉の話もいろいろ聞いた。 戦後史の書かれない部分がうっすら見えてきた。 吉はこのの後書きで、当に書きたい

    吉本隆明に教わったことは多いが - finalventの日記
  • プロ市民もなかなかいい芸風 - finalventの日記

    中国抗議デモ計画 わろた。 あらすじ⇒世界の中心で左右をヲチするノケモノ - プロ市民の陰謀だモナ まとめ⇒中国抗議デモ計画経過を追う おまけ⇒中国大使館に花束を投げ込むOFF会 それにしても、ネラー、おまえら偉いよ。ほんと。こういう知性と行動力があれば、日の未来も明るいと思う、って、ほんとにそう思う。 吉隆明が往時、ねるぽ(昼寝でもしてらー)と言っていたが、その達成の上にちゃんとあると思う。 安保闘争を勝利と考えたものたちは、政暴法闘争でも「勝利」するだろうし、つぎに何々闘争でも勝利するだろう。そしてその果てには徹底他力、組織物神、自己覚醒の放棄、官僚的屑の幻しかあらわれるはずがないのだ。敗北を知りながらたたかわねばならないときは必ずあるものなのだ。そのことはたんなる決断のもんだい以外の何も意味しはしない。しかし、一度、敗北した方法で、二度敗北することはだれにも許されないのである。

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