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小林秀雄に関するtakashi-onoのブックマーク (5)

  • 松岡正剛の千夜千冊『本居宣長』小林秀雄 - finalventの日記

    こうして小林の『居宣長』は、縮めていえば、宣長の「古道の思想」をあえて感覚的にのみ徘徊できるように、宣長の源氏論にひそむ「もののあはれ」をところどころ突っ込むことによって、一個の宣長像を六曲数双屏風の絵のように一扇一扇に描いたのだ。 馬鹿でなけりゃ、こんな文章は書けねーよ。どこが馬鹿か指摘できないほど馬鹿だ。が、うんこ塗りたいわけじゃないので、言うが、古道は思想だが感覚で受容するものではない。それを言葉のなかに息づかせ感受することだ。だから、小林はくどいほど宣長の息づかいを伝えようとした。そしてその息づかいの奥にあるものに気が付かない松岡ってやつは、およそ、女で泣く人生の意味もわかっちゃいねぇよ。端的に、あえてこちとらも馬鹿っぽくいうと、『居宣長』は長谷川泰子への鎮魂歌だよ。おっと、そう言っちまったら、まるで泰子に未練が残っていたか、みてーだが、そーじゃない。全然、そーじゃない。女で生

    松岡正剛の千夜千冊『本居宣長』小林秀雄 - finalventの日記
  • 1970年11月25日三島由紀夫自殺: 極東ブログ

    11月25日といえば、三島由紀夫が自殺した日だ。そう言ってみて、自分でもふと戸惑うのだが、「自決」とも「割腹」とも言いづらい。確かに思想的に見れば、「自決」だろう。世の中、三島の死に「自決」を冠するのは思想的な意味合いを見ているからに違いない。あの日、佐藤栄作はたしか「気違い」と言っていた(ATOKは「気違い」を変換しないので登録した)。それからしばらくして、そのことを誰だったか、小林秀雄にご注進したやつがいたらしい。その気持ちはわからないでもない。小林ならなんというか聞きたかったのだろう。小林は簡素だが、三島に非礼なき返答したと記憶している。このことは、江藤淳もひかかっていたらしく、のちに対談で小林に問うている(「歴史について」S46.7「諸君」)。 小林 (前略)宣長と徂徠とは見かけはまるで違った仕事をしたのですが、その思想家としての徹底性と純粋性では実によくにた気象をもった人なのだね

  • 池田晶子、死去 - finalventの日記

    ⇒asahi.com:「14歳からの哲学」池田晶子さん死去 46歳、腎がん - 文化一般 - 文化芸能 27万部のベストセラーになった「14歳からの哲学」で知られる文筆家の池田晶子(いけだ・あきこ、名伊藤晶子=いとう・あきこ)さんが2月23日、腎臓がんのため死去した。46歳だった。葬儀は近親者ですませた。 癌がわかって一年未満か。 この人の文章やはいくつか読んだが、お父様はご立派でしたわ、という以外よくわからなかった。しかし、人は哲学のつもりであっただろうし、哲学とはおよそそんなものだ。そしてであれば、死のレッスンでもあった。 とはいっても、気が付くと、人はあと一年も生きられないということがある。 無常迅速。 ⇒池田晶子さんが死去 哲学エッセーの文筆家 [CHUNICHI WEB PRESS] 喪主は夫伊藤實氏。 結婚していたのか。 新・考えるヒント: 池田 晶子 これは趣向としては

    池田晶子、死去 - finalventの日記
  • finalventの日記

  • 日本人ということ… - finalventの日記

    自分語りままだが、私は、自分が日人であることから、より普遍的であるべきだと考えてきた。どういう運命の巡り合わせか、異文化の人々と生活の一部を共にすることもあった。人間は人間である。日人である以前にその根幹に人間であると思った。その思いは、変わらないといえば変わらない。 ただ、歳を取るにつれ、ある文化の感性というのは外国人には通じない、あるいは、通じることは文学なりを経由するとても難しいことなのだと思うようになった。もう少し言うと、戦後の世界は日を表向き外国にしてしまった。 下の小林秀雄の言葉のなかに「そういう人間の素朴な感覚には誤りがある筈がないと私は思う」とあるが、この「人間」とは「日人」ということだろう。それを、中国人にも韓国人にも直線的には通じるわけもない。文学や宗教はそれをなしうるかもしれない。そして、人間の精神のなすべきことはそういう仕事なのかもしれない。 ただ、しかし、

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