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2009年7月19日のブックマーク (2件)

  • 守・破・離

    空手道でも、剣道でも、書道でも、茶でも、花でも、その修行の過程を「守」・「破」・「離」の三段階に分けている。 「守」というのは、一から十まで型通りにやることであり、それが一通り終る頃になると、型にはまり融通のきかないものになるので、「破」の段階に入れというのです。「破」とは文字通り「破る」ことで、型にはまったことを破って行く努力をすることであり、一寸考えると何でもないことのようですが、それは「守」の段階をふまない人の考えることで、当に「守」の型にはまった人がそれを破るということは実に容易でないことです。 最近、私たちの空手の中で、型が大変に上手であるが、組手が出来ない人たちを見かけます。大会でも型は型、組手は組手というふうに分けているようです。当は型が上手で組手が強いという様にならなければならないと思います。一つ一つの技が上手になれば、組手に生かせなければ意味がなく、「守」から「破」る

  • 佐伯祐三 - Wikipedia

    郵便配達夫(1928年) 佐伯は画家としての短い活動期間の大部分をパリのモンパルナス等で過ごし、フランスで客死した。佐伯の作品はパリの街角、店先などを独特の荒々しいタッチで描いたものが多い。佐伯の風景画にはモチーフとして文字の登場するものが多く、街角のポスター、看板等の文字を造形要素の一部として取り入れている点が特色である。作品の大半は都市風景だが、人物画、静物画などもある。 佐伯は1898年(明治31年)、大阪府西成郡中津村(現大阪市北区中津二丁目)にある光徳寺の男4人女3人の兄弟の次男として生まれた。1917年(大正6年)東京の小石川(現・文京区)にあった川端画学校に入り、藤島武二に師事する。旧制北野中学(現・大阪府立北野高等学校)を卒業した後、1918年(大正7年)には東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学し、引き続き藤島武二に師事、1923年(大正12年)に同校を卒業した[

    佐伯祐三 - Wikipedia