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2011年3月29日のブックマーク (2件)

  • 元GE技術者・菊地洋一さん講演

    ●原子力の技術は全然確立していなかった 核の平和利用という話からそういう話へ行きましたけれども、私が原子力の世界に足を踏み入れたのは、その平和利用という言葉にだまされてです ね、ちょうど第1次オイルショックの頃ですね。日当に石油がこなくなるというので、トイレットペーパー騒動という言葉をみんなも記憶しておられると 思いますけれども、建材は市場からみんな姿を消してですね、実際無くなったわけじゃないのです。僕も後で分かったのですけれども、みんな売り惜しみして、 ピータイルとかそういう建材はしまっておいただけなんですけども、とにかくオイルショックというのが起きました。 そういう時にこれまたどういう縁か、広島 出身の先輩で僕に仕事をたたき込んでくれた6歳ほど先輩がいるのですけれども、その人が10年ぶりに尋ねてきて、 原子力の平和利用にどうしても力を貸してくれということで、無理やりGEに引っ張っ

  • 10年後にまた来て見てくれ 惨禍に見舞われた日本人の不屈の精神 JBpress(日本ビジネスプレス)

    気仙沼港が水浸しになって燃えさかる遺体安置所と化してから9日経った日曜の早朝、人々は仕事に戻ろうとしていた。 精神科の看護師は、病院に向かう幹線道路を見つけようとして、ぬかるみの中を自転車を押していた。ところが、道は見つからない。道路は、黒焦げの住宅の骨組みや中身が飛び散った商店、1キロ近く内陸に打ち上げられた全焼した船などの瓦礫の山の下に埋もれているのだ。 変形した建物の中から、商店主のモギ・カンイチさんが笑みを浮かべ、パソコンを抱えて出てきた。「俺の仕事用のパソコンだ! 見つけたぞ!」と彼は叫んだ。 病院に向かう途中では、作業着姿の男性5人が造船所の瓦礫をウインチで巻き上げている。ここでは、ホタテ漁用のアルミ製小型モーターボートを年間50艘製造していた。現場の主任は静かな口調で、ボートは流線形のデザインで、燃費が良く、再利用が可能だと自慢する。 しかし、ボートはすべて流されてしまった。