クリスマスと風邪で中断していましたが、教育委員会が今年4月に娘に関わりだしてから、初めて動き出した校長先生の続きです。 www.tomaclara.com このように初めてお会いした時に、これからのサポート、特に、夏休みも教員を動かして娘の遅れた勉強のフォローに手を貸してくれると申し出をして下さったのだから、これは、今までの無関心とはスタンスを変えて娘を助けてくれるべく、学校全体を動かしてくれるのだと思いました。 その熱意の表れか、娘の転校のための手続きのために、はるか遠いポートアイランドにある支援学校の院内学級にまで、足を運んでくださいました。 原籍校の学校長が、支援学校ままでわざわざ訪れるというのは異例の事のようで支援学校の先生方は非常に驚かれていました。 脳脊髄液減少症の講演会にも校長先生ら一行が現れる この日から ひと月も経たぬ、5月の中旬のこと。 神戸三宮の勤労会館で、娘の主治医
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