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逡巡に関するtakehiko-i-hayashiのブックマーク (4)

  • LGBTを嫌う自由はあるのか

    LGBTが嫌いだと口にしたら、差別はよくないと周囲から総攻撃をらった。 おかしい。それこそが差別ではないか。 LGBTを差別するつもりはない。存在もしているだろうし存在しないでほしいとも思わない。 しかし嫌いなものは嫌いだ。 特にゲイはどうしても好きになれない。 できれば身近にはいないでほしいし、いたとしても近づきたくはない。 別に外見でゲイとわからないならいい。 だけど、男性なのにクネクネしていたり、男性なのに女性みたいな服装をしたりしているのはどうしても受け入れられない。 もちろん存在はしていてもよい。しかし、あなたの存在が認められるのと同じで、わたしがあなたを嫌いだということも認められるべきだ。 わたしが入る学校や会社に、LGBTを禁止する規則がないなら、その中にLGBTがいても仕方ないと思う。 だけど、LGBTを禁止する規則があるなら、わたしはそういう学校や会社を選びたい。 わた

    LGBTを嫌う自由はあるのか
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2021/03/02
    【追記2を読んで】もしこの増田が「嫌い」という発話行為が伴う言外の意味を掴むのが苦手な傾向の人なのであれば、この増田に「差別主義者」というレッテルを貼るのは本当に不当なのかもしれない、と思ってきた
  • 「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」(御田寺 圭) @gendai_biz

    もともと「負の性欲」とは、「リョーマ」と名乗る(アンチ・フェミニスト系の)アカウントが2019年7月に考案したワードである。「女性による、よりよい子孫を残すための男性に対する選別と、そうした選別によって『アウト』と判定した相手に対して(自己防御的に)発露する生理的嫌悪感」を指し示す語だった。 「リョーマ」氏のアカウントはツイッター規約に違反しているとされて凍結された。「負の性欲」が爆発的な流行を見せ、ミームとして急成長したのは、発案者がツイッターを去った後のことであった。 女性から男性に対する「キモい」ということばは、しばしば「『キモい』という感情を抱かされた私は被害者だ(そして加害者は、キモいアイツである)」といったニュアンスを帯びる。「キモい」「生理的に無理」といった拒否反応を、他人に向けることの加害性に無自覚な人びとに対する批判的説明として、「負の性欲」ということばには、大きな説得力

    「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」(御田寺 圭) @gendai_biz
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2019/12/09
    進化学が分かってないというコメントも進化学が分かってなさそうなのでどうコメントしようか迷うところ。うーん。ちなみに私は『交尾行動の新しい理解』という教科書での理論総説の著者なので進化学チョットワカル
  • 大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

    衝撃をもって受け止められた、阿部幸大氏による「教育文化の地域格差」に関する論考「『底辺校』出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由」。「地方には、高等教育を受ける選択肢や機会そのものが不可視になっている層が少なからず存在する」という問題提起は、多くの読者の共感を得ると同時に批判をも呼び、議論はなお収まらない。 膨大な数にのぼる反響をふまえて、続編をお届けする。 ぜひ最後まで読んでほしい 前回の記事が想像以上に大きな反響と議論を呼んだため、稿は連載形式をとることになった。さしあたり今回は、前回の記事に対していただいた反論や疑問に応答する。 反応はあらゆる媒体にわたって膨大な数にのぼっており、とてもすべてに目を通せたわけではないが、以下では、とくに重要だと思われるいくつかの指摘をピックアップして、できる範囲でお応えしたい。リアクションの総括には「現代ビジネス」編集部の担当者も協力してくれた

    大反響「底辺校出身の東大生」は、なぜ語られざる格差を告発したのか(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2018/05/01
    うーむ。文学研究者の卵が書いたエモいナラティブ的文章を自分の中のどのフォルダに整理したらよいのかが分からん。正直なところ「語り」として読むなら全然いやではないしむしろアリという気もしてしまうのよなあ
  • 学校行事への参加を拒まれて、考えた - 泣きやむまで 泣くといい

    学校の校外行事への参加を特別支援学級の生徒たちだけが拒まれる。保護者たちは同伴することも申し出た。が、それもまた拒まれた。 かなり異常な事態だと思うし、行政内部でも他の課から教育委員会に批判が集まるぐらいの状況であるが、学校は動かない。どうやら教育委員会から助言しても聞き入れてはもらえないようだ。教育委員会との間に明確な上下関係があるとも言えないのだろう。校長がイヤだと言えば、誰にもどうすることもできない。 学校からすれば「我々はできる限りのことを限られた予算と人員の配置の中でやっているのに、当たり前のように無理なことを要望されてはたまらない」ということである。報告書作成に追われて忙しいとか、クラブ活動の指導もあるとか、生徒指導がうまくいっていないとか、教員の数が足らないとか、常日頃から聞かされている学校の現状はきっと嘘でもない。この校外行事については確かにかなり個別性の高い配慮が求められ

    学校行事への参加を拒まれて、考えた - 泣きやむまで 泣くといい
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2012/12/26
    良記事
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