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2016年6月28日のブックマーク (6件)

  • 薬害オンブズパースン会議の「個々の症状ごとに比べても意味がない」という批判の解説 - NATROMのブログ

    名古屋市がHPVワクチン(いわゆる子宮頸がんワクチン)の接種者と非接種者を対象に行ったアンケート調査において、「社会的影響が大きく、市だけで結論は出せない」として最終報告書では評価を示さなかったことが報じられた。 ■子宮頸がんワクチン調査で名古屋市が結論撤回:朝日新聞デジタル 調査は、ひどく頭が痛い▽簡単な計算ができなくなった▽手や足に力が入らない、といった接種の副反応にみられる24の症状の有無などを尋ねるもの。その結果、接種者に「多い症状」はなかった。一方、接種者に「少ない症状」は、関節やからだが痛む▽杖や車いすが必要になった、など15症状あった。 これを受け、市は昨年12月、「接種者に有意に多い症状はなかった」との評価を発表したが、薬害監視の民間団体「薬害オンブズパースン会議」が「副反応の症状は複合的で、一人が複数の症状を持っている。個々の症状ごとに接種者と非接種者との有意差を比べても

    薬害オンブズパースン会議の「個々の症状ごとに比べても意味がない」という批判の解説 - NATROMのブログ
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2016/06/28
    良解説。「白黒の決着がつく調査」ではないけれど「何も示唆が得られない調査」というわけでもない、ということ。雑にならずに丁寧に議論するのが大事だと思います。実際に苦しんでいる方々がいる話なので
  • 主観的確率と帰結評価の二重不一致と「見た目の全会一致」 - Metaeconomics

    不確実性のもとで選択の評価を社会的にどう集計するか,という問題を考える.具体例はいくらでも浮かぶだろうが,敢えて言及しない. 静的な社会的選択論と異なり,ここでは「選択=帰結」ではない,なぜなら選択の帰結は諸々の不確実な要因に左右されるからである.そこでは,二種類の意見の不一致がある.*1 まず,選択の帰結の評価が人々の間では異なる.一つの帰結がある人にとっては望ましいがある人にとっては望ましくない,そして他の帰結については逆,などなどというのが常態だ.これは静的な社会的選択論で既にカバーされている話である. もう一つは,不確実要因についての確率的予想の不一致である.*2究極的な意味においては,「正しい確率」などというものは存在せず,あくまでも確率は主観的なものに過ぎない. この主観的確率と帰結評価の二重不一致が存在するときには,「見た目の全会一致」が起こる.Gilboa, Samet,

    主観的確率と帰結評価の二重不一致と「見た目の全会一致」 - Metaeconomics
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2016/06/28
    面白かった!個人的には(少なくとも私的決定においては)完全に前者派かなあ。「そもそも確率なんて存在しない(全ては運命として定められている)」という意見まで一つの見解として認めるのもやぶさかでない
  • 資源配分の公平性(2) - Metaeconomics

    生産経済における資源配分の公平性について述べる。 能力の差異がない場合 人々の間に能力の差異がないならば、交換経済における議論をそのまま容易に拡張できる。選好の対象に「余暇」を含めるだけである。そのうえで「原始状態」においては、交換経済と同じく、人々は自分の選好以外のものには責任を持たないと考えられる。つまり、ここで許容される「格差」=異なった労働時間によって異なった消費が人々の間でなされることは、純粋により多く時間を余暇に回したいか労働に回したいかの選好によってのみ説明される範囲に限られる。 よりフォーマルに、個人の消費と余暇の組み合わせをと書き、彼の余暇へのそれを含んだ選好をと書こう。このとき、個人が個人を羨むとは、たることを言う。つまり、が自分の消費・余暇よりもの消費・余暇を好む状態を指す。そして、消費と余暇の配分が無羨望であるとは、誰もが誰もを羨まないことを言う。 この意味での無羨

    資源配分の公平性(2) - Metaeconomics
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2016/06/28
    メモ
  • 資源配分の公平性 (1) - Metaeconomics

    資源配分の公平性について、書けるところまで書いてみようと思う。 意図的にそれと標榜している人でない限り、一般に経済学者は公平性について議論することがない。それは主観的には、「分を超えたことは言わない」「特定の倫理的価値判断には関わらない」という一種の良心からなのであろうが、それは客観的には、公平性の議論が論題に上らないおかげで説得力を保持しているような言論に加担していることになりかねない。 しかし、特定の倫理的価値判断に肩入れせずとも、種々の漠然とした理念を定式化し、それらの成立可能性、それらの間の論理的関係・両立可能性・不可能性を調べ、公平性に関するフォーマルな議論の共有を助けることは可能なのであり、それはまさに経済学者の職分の一つだと言えよう。 さて、「何が公平か」というのは結局のところ、「人は何に責任を負うか」ということに帰着する。このことについて誰もが一致して受け入れられる基準が

    資源配分の公平性 (1) - Metaeconomics
    takehiko-i-hayashi
    takehiko-i-hayashi 2016/06/28
    メモ
  • 地震確率、数値発表見直し 政府、リスク高低で分類検討:朝日新聞デジタル

    大地震の長期的な予測について、政府の地震調査研究推進部が確率を数値で示す従来の発表方法を改める方向で検討していることがわかった。数値を使わないリスクの高低による分類や、文章による説明を強調することを検討している。 見直しのきっかけは熊地震。震を起こした布田川(ふたがわ)断層について地震部は、今後30年以内にマグニチュード(M)7程度の地震が起きる確率を「ほぼ0%~0・9%」と評価していた。活断層型の地震は間隔が数千年に及ぶことがあり、数値が比較的小さくなる傾向がある。 一方、南海トラフの大地震のようなプレート境界型は数十年から数百年で繰り返すため、数値も比較的大きい。地震部が出す南海トラフの大地震の確率は70%程度になっている。 地震部は「値が小さいようで… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続き

    地震確率、数値発表見直し 政府、リスク高低で分類検討:朝日新聞デジタル
  • 国際がん研究機関、 コーヒーに発がん性はなく、高温の飲み物にはリスクがあるとの研究結果を発表 | スラド サイエンス

    世界保健機関(WHO)が、コーヒーの飲用とがんの発症には因果関係がないとの結論を発表した。ただし、「とても熱い」飲料については発がん性が疑われるという(Reuters、農林水産省の「個別危害要因への対応(健康に悪影響を及ぼす可能性のある化学物質) > 最近の話題」)。 国際がん研究機関(IARC)で25年かけて研究した結果によると、「非常に熱い飲み物(65℃以上)」は道がんのリスクが高まるとのことで、「ヒトに対しておそらく発がん性がある」との分類になっている。いっぽう、コーヒーおよびマテ茶については「ヒトに対する発がん性について分類できない」に分類されている。