さらに教師自身が学校生活を楽しんでいることも大切だ。楽しそうにしている人のところには、自然と人が集まって来て、自分もやってみたくなるからだ。楽しんでいる姿には魅力があるのだ。 教師は授業や講義を楽しく進める。教えているテーマがいかに楽しいか、身をもって伝える。教師自身が本気で楽しんでいれば、児童・生徒・学生も自ずとその楽しさに引き込まれ、楽しさが増幅していく。学校はMacと同じく、「楽しさ増幅装置」なのだ。「学習」が「楽習(がくしゅう)」に、「学校」が「楽校(がっこう)」になる。 そして、大学で行う「学問」もまたとても楽しい。なぜなら学者は、その学問の内容が楽しいから研究しているに違いないからだ。大学の教員は、「学問」がいかに楽しいかを学生たちに伝える責務がある。それが学問の進歩につながるからだ。「学問」を「楽問(がくもん)」にする場が大学、いや「大楽(だいがく)」だ。事実、大いに楽しい。