春になるとツクシが空き地にいっぱい生え、母がよくそれを摘んでいました。私は茶色いはかまを取らされ、母がつくだ煮にする。小学2年から育ったのは、その名も町田市つくし野。山や田畑を切り開いた分譲地の一軒家で、50メートルぐらい先を東急田園都市線が走り、電車の音が一日中うるさい。線路を越えれば神奈川県という東京の端の端。でも私たち家族にとっては、立派な東京の“夢のお城”でした。 それ以前に住んでいたのは千葉県内の団地です。父は長崎から出てきた人で、自動車の販売会社で夜遅くまで働いていた。家には母の内職の段ボール箱が積んであり、母は缶バッジにキャラクターの写真をペタペタ貼り付けていました。私もよく手伝わされました。両親はそうやってつましく暮らしながらコツコツ頭金をため、東京の隅っこに何とか家を建てたんです。