上杉景勝(うえすぎ・かげかつ) 1555~1623 上田長尾政景の二男。母は上杉謙信の姉で、謙信の甥にあたる。弘治元年(1555)11月27日に生まれ、幼名は卯松。通称は喜平次。長じて長尾顕景と名乗る。従三位・弾正小弼・参議・権中納言。妻は武田信玄の娘。 永禄7年(1564)に父の政景が没したのち、叔父・上杉謙信の養子となって母や姉妹と共に越後国春日山城に移り、天正3年(1575)に景勝の名乗りを与えられた。同年の『上杉家軍役帳』によると、軍役負担は375人。 天正6年(1578)3月に謙信が没すると上杉景虎と家督相続をめぐって戦い(御館の乱)、武田勝頼と盟約を結んで景虎を破り、謙信の跡目を相続して越後国春日山城主となる。天正8年(1580)8月頃までには御館の乱を通じて上・中越の諸豪族をその支配下に置き、全幅の信頼を寄せる重臣・直江兼続を家宰として重く用い、共に支配体制を確立した。 天正