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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/tokyoeye (1)

  • 「いらない」と「楽しい」が同居する五輪は、「国威発揚」より意義深い

    <88年ソウル五輪の高揚感と「国威発揚」を体験した身からすると、自由に「NO」と言える五輪には新鮮さを感じる> このコラムが出る頃には紆余曲折のあった東京五輪も格的にスタートし、日国民の55%が反対していると報じられた雰囲気も少し変わってきているかもしれない。ただこのコラムを書いている開幕直前までの雰囲気は、引き続き反対論が強いようだ。 新型コロナウイルス対策との整合性という問題は確かにあるにせよ、実は個人的には「多くの国民が反対するなかで開催される五輪」に新鮮さを感じている。 韓国人である私にとって、最も印象深い夏季五輪と言えばやはり1988年のソウル五輪だ。韓国では、軍事クーデターで政権を取り、多くの市民に被害を与えた光州事件を引き起こした全斗煥(チョン・ドゥ・ファン)大統領の「唯一の肯定的な功績」と言われたりもする。 あの時は開催の何年も前から、テレビで毎日のように五輪関連の報道

    「いらない」と「楽しい」が同居する五輪は、「国威発揚」より意義深い
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