2019年10月10日のブックマーク (1件)

  • 菊水護国のblog

    数年前にとある法華講の御老人から御山にて、現在の顕正会、東京妙信講の成立について面白い話を聞いたのでそれを書きたいと思う。 まずは東京妙信講発足には二つの矛盾した記述がある。 冨士271号「御唯命守護の戦い」によると 「(東京)妙信講の創立は太平洋戦争たけなわの昭和17年であった。」 と書いてある。 しかし富士78号には石原康一さんの名で 「(東京)妙信講の誕生は昭和16年8月、当時僅か十五世帯を率いられた講頭先生の手によって進軍が開始された」 この一年の違いについて考察する。 実は私が会った御老人によると、東京妙信講は信仰による大東亜戦争への宣揚が目的で作られたという話である。 昭和16年8月といえば、日米戦争への足音が聞こえた来る時期である。 浅井甚兵衛東京妙信講初代講頭はかなりの戦争翼賛意識が強かったようである。 まあ当時の世相を考えたらとびぬけて突飛とは言えないであろうが。 その萌

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    takuminarueshi
    takuminarueshi 2019/10/10
    宗内右派の菊水さんのブログです。 “天照大神はニニギノミコトを派遣し給う國の初め給いし神にて、八幡大菩薩の迹地は應神天皇にして國を護り給う神であります。この二柱の神は時に順いて迹を垂れ、その本地は御本