2012年06月21日02:36 カテゴリ 一向一揆という「ノマドの反乱」 大阪維新の会はみずからを明治維新になぞらえているが、その方向は逆だ。明治維新はローカル国家連合としての幕藩体制を中央集権国家に統合するものだったが、維新の会の打ち出している地方分権の強化は、むしろ明治以来の主権国家を解体する方向である。橋下市長も「大阪独立、ほんとそれを目指します」とコメントしている。 だから彼のモデルとしては、明治維新より一向一揆のほうがふさわしいのではないか。その中心となったのが、上の図(想像図)の石山本願寺である。これは現在の大阪城の場所にあった浄土真宗(一向宗)の本山で、本願寺を中心に数十万人の集まる自治都市(寺内町)が形成されていた。 これに対して1570年、織田信長は総攻撃を行なったが、本願寺は10年にわたって戦った。当時すでに全国最大の武装集団だった信長に対してこれほど長期の戦いができ