●昨日のトークショーでの樫村さんの発言のメモをもうちょっと。認識の底上げと転移の不能と自由意思(能動性)についての例。 例えば、上司が嫌な奴で会社に行きたくないという状況があり、しかし実際問題として、行かなければクビになるので、行かないわけにはいかない、ということを私は知っている。この時、「行かないわけにはいかない」こと、行かなかった時にやってくる不利な結果を知りつつも、あえて「行かない」ことを選択することがあり得るという可能性がある、という点においてのみ、自由意思が確保される。例えば、もうどうしても嫌で会社に行けなくなってしまうというのは病気(あるいは自然)だから、自由意思ではない。そこで、駅まで行って、あえて会社とは逆向きの電車に乗るという能動的行為(の可能性)が生じるには、それをうながすモデルが絶対に必要であり、そのモデルこそが転移の対象である。例えば、「盗んだバイクで走り出す」反逆