●個人的なつまらない話だが、『構造と力』を読んだのは高校一年の時だった。日本の現代文学、大江健三郎や中上健次や金井美恵子や、当時「現代思想」と呼ばれていたようなものなどを読むようになったのも、高校一年の年、1983年だ。しかしその時、同じような本を読んでいた人はまわりには一人もいなかった。学校の友人たちとか、日常的に接する人たち、日常的なリアルな生活圏とそれらの本に書かれていることとは、まったく何の接点もなかった。読んだ本について話が出来る人も一人もいなかった。それらの本の内容は、孤独のなかで読まれ、ただ孤独に受け止められるだけだった。その後、「批評空間」などを購読している時も、まわりに同じものを読む人はまったくいなかった。予備校でも、大学でも。そして、それはそういうもので、当然のことだと思っていた。おおきくみれば、ぼくはドンピシャで、ニューアカ世代であり「批評空間」世代であるのだが、その