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2009年6月10日のブックマーク (4件)

  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●「大事なことは言葉では言えない」という言葉を、ただ「言葉」としてだけみるならば、バカみたいに安直で下らない言葉だと言える。しかし、実際に、大事なことがまったく言葉では伝わらないという場面を経験した者にとっては、その下らない言葉が、言葉としての下らなさを超えてリアルな触感を持つ。言葉で何かを言おうとする時に、「大事なことは言葉では言えない」という言葉のリアルな感触を「言葉の外」の経験として持たないとしたら、その言葉は結局言葉の内側だけのことでしかなくなり、言葉で何かを言うことの切実なリアルさをもつことはないだろう。「大事なことは言葉では言えない」という言葉の下らなさとは、実際に伝わらなかった個々の場面の固有な、それぞれに異なった質をまったく表現できてないからであり、それを一般的な「ことわざ」や「キーワード」のようにしてしまっているからであるのだが、しかし同時に、そうであったとしても、人は繰

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    tamai0911
    tamai0911 2009/06/10
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●昨日一日、ジョン・レノンの名前がどうしても思い出せなかった時、記憶喪失というのはきっとこんな感じなのだろうと感じられた。たんなるど忘れなのだが、当に文字通り「ジョン・○○○」という感じで、「○」の部分が真っ白というか真っ暗で、知らないはずがないことなのに、そこへと至る経路が閉ざされてしまっていて、それはまさに頭のなかに深い穴が空いてしまったようで、「それを知っていたはずだ」という記憶の方があやしく感じられてしまうほどだった。思い出せないというよりも、この世界にははじめから「○○○」の部分など存在しなかったかのようにさえ感じられてしまう。勿論、ジョン・レノンの存在そのものを忘れてしまったわけではないし、その顔は思い浮かべられるし、何枚かのジャケットも、曲そのものも思い浮かべることができる。そして、彼は「ジョン」と呼ばれている、ということも、すんなり思い出せる。しかし「ジョン」の先が真っ白

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    tamai0911
    tamai0911 2009/06/10
    自分に執着する(赤裸々な)自分語りは鬱陶しいだけだが、自分を語ることによって自分を超えてゆくような、自分自身をネタとして人に差し出すような(開放的な)自分語りは、自分だけでなく、まわりの人をも開放する。
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●昨日のことになるけど、いつも行く喫茶店にはおどろくほど客がいなかった。この店に、こんなに客がいないのは見たことがない、というくらい。閉店前二時間くらいは、完全に客がぼく一人になった。たった一人の客が、コーヒー一杯で長時間粘る自分であることが申し訳なく思えた。もし、ぼくがさっさと帰れば、店長はバイトに、「今日はお客さん少ないからもうあがっていいよ、タイムカードは時間が来たら私が押しておくから」と言うかもしれない。そのようにして予想外に生まれた一、二時間は、とても良い時間となるだろう。普段は店でしか顔をあわせないバイトの人たちが、じゃあちょっと、一緒にカラオケでも行こうか、ってことになるかもしれない。あるいは、帰りにぶらっと屋に寄って、普段は読まない小説でも、たまには読んでみようか、って気持ちにもなるかもしれない。しかしそうであるにもかかわらず、ぼくは無配慮にも閉店ちかくまで粘って仕事をつ

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    tamai0911
    tamai0911 2009/06/10
    「行きたい」と思うよりもはやく「どうせ行けないでしょう」という現実(あきらめ)がやってきて、でも形だけでも一応「行きたい」と思っとこう、みたいになると、ほんとに我ながら嘘くさい。そういうの最悪だ。
  • bosacolog

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