言おうかどうしようかまよったけど、やはり書こう。 ユリイカの吉村光弘さんの文章とそのブログになんだかひっかかっている。「徹底的な他者=外部」などというあまりに観念的すぎて、わたしには全然意味のわからない言葉で批評が行われていること、ものすごく疑問というか、正直な感情を言えばそういう紋切り型の批評が復活してきていて、読み手がそういうものに免疫がないのだとしたらとても怖いことだと思っている。というのは、そういうことに疑問を感じずに彼の文章を杉本拓の非常に注意深く書かれた文章と同列に語ってる風情のブログをいくつか見つけたからだ。「徹底的な他者=外部」なんて今のところわたしは出会ったことすらないし、今後も戦争でもおこらないかぎり出会うことはないだろう。そんな究極の注釈なしには使うことが出来ないような紋切り型の言葉をいきなり使っていいのだろうか? 別に「徹底的な他者=外部」のような極端な言葉の使い方