2008年3月7日のブックマーク (2件)

  • 退屈なんかしたことなかった - あざけり先生、台風きどり

    家から職場までの通勤時間は車で約二十分ほど。その間にはいつもCDで音楽を聴くか、ヘッドセットを使用して携帯で通話するのがいつものパターンです*1。しかし、CDプレーヤーの読み取りセンサーが、経年劣化からかもう音楽を読み取るのは疲れたよ……と言わんばかりに故障。レンズクリーナーを何度か使っても、プレーヤーの奥の方で「キュキュ」と頑張っている音をアリバイ気味に発するばかりで何度も何度もCDを吐き出し、いっこうに音楽は始まりそうな気配がありません。もう修理に出すか、FMトランスミッター付きのMP3プレーヤーを買うしかないなと考えて色々とインターネットや電気屋さんで調べているうち、いつのまにかMP3プレーヤー体ではなくトランスミッターのことばかり考えるようになり、トランスミッターマニアになりました。そんな誰も踏み出そうとはしない荒野に立ちつくしたまま(トランスミッター……とつぶやきながら)ダラダ

    tamdao
    tamdao 2008/03/07
  • 日本人の多くには、神のような絶対的存在がいないため、いろいろ機能的な不都合が起きます - Android開発-fs随筆-

    通常、人生の不幸や幸福は、運命です。避けようがありません。 僕の内面世界には、神のような絶対的存在が認識されているので、そういった、避けられない不幸や、降ってきた幸福を自己消化することができます。神がいるのだから、運が良かった悪かったという概念が、内面世界に根付くのです。 けれど、多くの日人は、不幸に見舞われればこう嘆きます…… 「なぜだ!?」。 それが単なる偶然出会っても、何かしら理由がないと日人は不幸を受け入れられません。「私のどこが悪かったのだろう?」などと、考えてしまうのです。そして自分は大して悪くもないのに、「自分のここが悪かったからこんな不幸な目に逢ってしまったんだ」と考えてしまいます。 でも普通の不幸なんて、適切な支援者が適切なタイミングでいれば、すべて避けられたはずです。たまたまその支援者がよそ見していたり、疲れていたりして、不幸に見舞われること。それはただの運が悪かっ

    tamdao
    tamdao 2008/03/07
    自分自身が信じるものが自分の神