CFD議長だった頃、伊勢丹の婦人MD統括部長だった武藤信一さんに誘われ祖師谷大蔵の住宅街にある小さな割烹店で会食しました。同席したのは伊勢丹研究所ゼネラルディレクターの田邊慈子さんと元伊勢丹ニューヨーク事務所の杉本明子さん(当時は東京生活研究所ファッションディレクター)、その場で若手デザイナーを集積した売場を作れないかと提案しました。 2ヶ月後武藤さんから「やるよ」と電話がありました。場所は1階のど真ん中、「そんな良い場所で始めたらきっと坪効率悪いから長続きしない」と言ったら、「大丈夫。これまで売場ではなかった場所だから1年間前年対比は出ない」。こうして始まったのが「解放区」、担当バイヤーとして現われたのが藤巻幸夫さんでした。もう20年前のことです。 以来、藤巻さんとの親交が始まりました。彼が伊勢丹を退社して若手デザイナーを担いだとき、バッグの老舗の役員になったとき、福助を再建したとき、イ