ブックマーク / kensyouhan.hatenablog.jp (4)

  • 「ゴールドラッシュとカニバル(人肉食い)」パクリ対応表。 - 唐沢俊一検証blog

    唐沢俊一が『唐沢俊一のトンデモ事件簿』(三才ブックス)掲載の「ゴールドラッシュとカニバル(人肉い)」で藤永茂先生のブログ「私の闇の奥」の記事からパクっていたのは10月7日の記事で取り上げたが、わかりやすく紹介して欲しいというコメントがあったので対応表を作ることにした。唐沢俊一がちょこちょこ文章をいじっているのでたしかにわかりにくい。パクリ元の「私の闇の奥」を黒字で、「ゴールドラッシュとカニバル(人肉い)」を赤字で表記する。 イリノイ州スプリングフィールドのジョージ・ドナー、その弟ジェイコブ、友人ジェイムズ・リード イリノイ州に住むジョージ・ドナーと、弟のジェイコブ、そして友人ジェイムズ・リード 彼らの家族を連れてカリフォルニアへの移住を決心し、 家族を引き連れてカリフォルニアへの移住を決心し、 1846年4月中旬、総勢30人余りで家畜をともなって西へ向かいました。 1846年4月、総勢

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  • 『唐沢俊一のトンデモ事件簿』パクリ疑惑・その1。 - 唐沢俊一検証blog

    『唐沢俊一のトンデモ事件簿』(三才ブックス)P155〜156 CASE16「ゴールドラッシュとカニバル(人肉い)」より アメリカ開拓史中に何度か現れる人肉事件の嚆矢として知られるのが、このシエラネバダ山脈での“ドナー峠事件”である。イリノイ州に住むジョージ・ドナーと、弟のジェイコブ、そして友人ジェイムズ・リードは、当時のカリフォルニアでのゴールドラッシュブームに乗ろうと、家族を引き連れてカリフォルニアへの移住を決心し、1846年4月、総勢30名ほどの幌馬車隊を組み、家畜を伴って西へ向かった(人数は途中で90名近くになった)。 幌馬車隊は、秋の終わりまでにはカリフォルニアに到着するはずだった。しかし、豪雨にたたられ、道を誤り、10月の末になって、既に雪があたりを覆う気候になっても、まだシエラネバダの山の中をさまよっている状態だった。そして、目的地にあと200mというあたり、山中の峠の1つ

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  • 『唐沢俊一のトンデモ事件簿』パクリ疑惑・その2。 - 唐沢俊一検証blog

    『唐沢俊一のトンデモ事件簿』(三才ブックス)CASE19「憤懣と憤、怨念のコトバ」には、『無限回廊』の「ピアノ騒音殺人事件」と似た文章が随所に見受けられる。ただし、今回は丸写しというわけでもなく、唐沢が自分で書いた部分も数多くあるからパクリか否か判定するのが難しい(とはいえ、事実関係は『無限回廊』に出ているものとほぼ同じ)。文章が長いので対応表を作っておく(文は下にあるので参考にしてほしい)。パクリ元の『無限回廊』を黒字で、「憤懣と憤、怨念のコトバ」を赤字で表記する。なお、『無限回廊』の記事は2002年に書かれたものであり(「大浜は死刑確定した日からすでに25年経っているが」とある)、「憤懣と憤、怨念のコトバ」の脚注には「2005年12月現在」とあるので、「憤懣と憤、怨念のコトバ」の方が後から書かれているのは明らかである。 午前9時20分ころ、奥村家の主人(当時36歳)が出勤し、

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  • 唐沢俊一検証blog

    以降の更新は「ex検証ブログ」にて行います。 exkensyouhan.hateblo.jp よろしくお願いします。 「カラサワ5つの誓い」 一つ。体調の悪いままホッピーを飲まぬこと。 一つ。天気のいい日に帽子を干すこと。 一つ。ネットに書き込むときには検証者に気をつけること。 「次郎ちゃーん」 一つ。他人の文章を頼りにしないこと。 一つ。舞台の上で前説をしてトラウマを作らぬこと。 「聞こえるかい? 唐沢さーん!」 最終回なのでね。『電脳なをさん』で「ウルトラ5つの誓い」をネタにした時もやっぱり「次郎ちゃーん」は入れてたのでオタクとしてそれに倣いました。「♪復讐の風〜」ときたら「飛鳥ァーッ!!」と入れたくなるのと同じで。…まあ、気で唐沢さんと何かを誓おうとしたら5つじゃ済まないからなあ。次郎くん、ずっと砂浜を走らなきゃいけなくなる。初見では二代目ゼットンのゆるさが頭を占領していたけど、今

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    tanemurarisa
    tanemurarisa 2008/07/16
    なをきの方は好きだけど、こいつは本当に大嫌い。
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