ブックマーク / replicorn.hatenadiary.org (7)

  • オールアバウトナムコに載ってないナムコゲーム - シューティングゲーム探究記

    昨日の「SOS」がナムコ発売ということが意外だったという人が多いようだったので、もうひとつオールアバウトナムコに載っていないナムコゲームを紹介してみます。 この「海底宝探し」というゲームはDepth Chargeの亜流になりますが、いわゆるシューティングゲームではなく、船からプレイヤーを海底に下ろし、海底に埋まっている壺の中にある財宝を邪魔をするサメを撃ちながら船まで持って帰るというアクションシューティングゲームに仕上がっています。 操作は2方向レバーと1ボタンを使用しますが、船上と海中、海底でそれぞれ異なります。船上ではレバーが船の移動、ボタンは船からの降下開始、海中ではレバーが銛の発射とボタンがロープの投下と引き上げのストップをコントロール、海底ではプレイヤーの移動とロープの引き上げ開始指令をするという2ウェイの方法となっています。文字で書くと複雑そうな操作に思えてしまうのですが、実

    オールアバウトナムコに載ってないナムコゲーム - シューティングゲーム探究記
  • ゼビウスに施された万全のコピー対策 - シューティングゲーム探究記

    バトルスもゼビオスも地元の電気屋の店頭、駄菓子屋によく置いてありました。ナムコマニアだった私は違いを楽しみながらよく遊んだものです。その記憶と「XEVIOUSを懐かしむ」から遠藤氏の発言を取り出して加味し、抽出してみました。 ゼビウスは作り込まれたゲーム性ばかりが取り沙汰されていますが、実はコピー対策までさえもしっかりやっていたことが特筆に値するゲームです。黎明期に作成されたゲームであるスペースインベーダーや同II、ストラテジーXなどの裁判ではまだプログラムの規模も小さいほうであったため、ゲーム構成から配点、登場キャラクタの動きまでを別紙にすべて羅列してもまだ何とかなるレベルでした。しかしゼビウスほど面数も多く、キャラクタも多くなってくるとなかなかそうもいきません。そこで遠藤雅伸はゼビウスの基板がコピーされたり、改変された場合に備えて巧妙な対策をふたつほど施しておいたのです。ひとつはプログ

    ゼビウスに施された万全のコピー対策 - シューティングゲーム探究記
  • ドラクエを生み出す運命の出会い - シューティングゲーム探究記

    中村光一を中心にテキストを起こしてみました。タイニーゼビウスのときはベーマガなどからたくさん見聞できたのですが、こちらはほとんど知らないことばかりで文章を書いている私も非常に刺激を受けました。ドアドア以降はリアルタイムでジャンプを読んでいて、中村光一の写真が載った記事などあったなぁ、と思いだしました。 圧倒的な人気ゲームとなった「スクランブル」(1981/3, コナミ)はすぐさまパソコンへ移植されました。この移植を行った中村光一は、ゲームにどっぷりとはまり、スペースインベーダーはほとんど終わらないくらいの腕前だったといいます。ある日、18万5000点ほどまでスコアを伸ばしていたら、店主から「閉店だから帰ってくれ」と言われるほどだったといいます。高校へ進学するパソコンで動く「平安京エイリアン」(1979/11, 電機音響)に似たゲームを使ったデモを見て「これなら毎日タダでゲームができる」と思

    ドラクエを生み出す運命の出会い - シューティングゲーム探究記
  • 女性にも受けた「ギャラガ」 - シューティングゲーム探究記

    シューティングゲームの中でもっと語られてもよいゲーム「ギャラガ」について抽出してみました。 ギャラガのプランナーである横山茂はナムコ、モノリスソフト、ベックの取締役として活躍していて、リッジレーサーシリーズ、テイルズシリーズ、ゼノギアスシリーズのプロデューサーを務めている模様。 他社がギャラクシアンを追従する中、ナムコはギャラクシアンのゲーム性を更に発展させた続編「ギャラガ」(1981/9, ナムコ)を開発しました。ギャラガの操作はギャラクシアンと同じく2方向レバーで「ファイター」と呼ばれる自機を左右に動かし、ボタンでショットを発射するというものでしたが、今度は単発ショットではなく、2連射できるようになっていました。これは敵の動きがスピーディになったことに対応させたものでしょう。このゲームでの目玉は「合体によるパワーアップ」で、それはムーンクレスタと同じコンセプトのものです。しかし、合体方

    女性にも受けた「ギャラガ」 - シューティングゲーム探究記
  • マニアが求めたスーパーゼビウス - シューティングゲーム探究記

    2ちゃんねる「XEVIOUSを懐かしむ」スレからスーパーゼビウス関連のものを抽出。 その世界観で多くの人を惹きつけたゼビウスは、非常に短期間のうちに研究されつくされ、極められてしまうことになりました。ゲーム自体がループゲームであったこともあり、最終エリアである16エリアを突破できる実力があれば、長時間ずっと遊ぶことはそれほど難しいことではなかったからです。ですからプレイヤー達はもう普通のゼビウスでは飽き足らなくなってしまうようになっていくのは時間の問題でした。これは遠藤雅伸にとっては想定外のできごとでした。16エリアまで楽に到達できてしまうようなプレイヤーがそれほどいるとは思っていなかったのです。 そのような日国内のゼビウスとは異なり、スペインやイタリアなどへ向けたゼビウスは非常に高難易度に設定されていました。日では16エリアまで到達できないであろうと思われていたはずのゲームスペイン

    マニアが求めたスーパーゼビウス - シューティングゲーム探究記
  • ゲームセンター=非行の温床 - シューティングゲーム探究記

    ゲームセンターが非行の温床とされた経緯について調べてみました。調べている間に「所さんの20世紀解体新書」というを見つけ、その中で糸井重里が「遊べるところがないから、仕方がなくホモバーまでインベーダーをやりに行った」と発言していて思わず噴きました。ネタに事欠かない人だなぁ。 スペースインベーダーの人気はとても激しいものでした。喫茶店のみならず、スナックやレストラン、ホテルにまでも筐体が設置され、日人は金と暇さえあればインベーダーと戦っていると表現してもよいほどブームになりました。当時の調査によれば、一人当たりの平均にして月4,900円をインベーダーゲームにつぎ込んでいたそうです。ピーク時には全国に30万台以上筐体があり、1台につき1日10,000 〜 15,000円ほど稼ぐとも言われていました。あまりにのめり込んだ児童がその日のうちに3,000円以上もつぎ込むという異常な事態も引き起こし

    ゲームセンター=非行の温床 - シューティングゲーム探究記
  • 3人の天才が生んだパソコン移植版「ゼビウス」 - シューティングゲーム探究記

    ゼビウスを生んだ遠藤雅伸、それに追従するかのように世に出た 大堀康祐(うる星あんず)、松島徹、藤岡忠。この3人の天才が絡んで生まれたパソコン移植版ゼビウス誕生秘話です。 ゼビウスはスペースインベーダーやギャラクシアンがそうであったようにパソコンへの移植が期待されていました。しかし、ゼビウス用に設計された基板はCPUを3つも利用しているため当時のパソコンに比べて非常に性能が高く、移植は不可能であると当時の記事でも喧伝されていました。ところがゼビウスの発売から10ヶ月足らずしか経っていない1983年12月、誰もがゼビウスが稼働することすら夢に思わなかったであろうパソコン「PC-6001」で動かせる移植版ゼビウス第1号が発売されたのでした。その「タイニーゼビウス」をプログラムした松島徹は当時、中学生でした。不可能と思われていた移植を可能にしたのは天才ならではの大胆な発想の転換があったからでした。

    3人の天才が生んだパソコン移植版「ゼビウス」 - シューティングゲーム探究記
    tanemurarisa
    tanemurarisa 2009/01/18
    ブラック遠藤が見える、数少ない記事w
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