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2015年12月27日のブックマーク (2件)

  • J監督就任目前だったビエルサを激怒させた協会幹部の無礼 (日刊ゲンダイ) - Yahoo!ニュース

    J1に昇格した松山雅は15年シーズン、18チーム中16位に低迷。1年でJ2に逆戻りである。 北京五輪監督だった反町監督は、90分間フルに走り回っての全員攻撃に全員守備がモットー。選手の走行距離、スプリント回数はJ1でもトップ3に入るが、選手のレベルの低さに加えて反町監督の攻め手が“堅守からカウンターのワンパターン”しかなく、ただ走り回るだけではJ1で通用しなかった。 「5月20日からJリーグ、ナビスコ杯で9連敗した時は得点6に対して失点25とボロボロ。この時点でフロントは反町監督に見切りをつけ、後任監督探しに着手しました」(チーム関係者) 松のフロント幹部の人脈を通じて交渉することになったのは、世界に名だたる有名な指導者。母国アルゼンチン代表を率いて02年W杯、チリ代表監督として10年W杯に出場。今夏まで仏リーグ1部の名門マルセイユの監督を務めたマルセロ・ビエルサ(60)である。

    J監督就任目前だったビエルサを激怒させた協会幹部の無礼 (日刊ゲンダイ) - Yahoo!ニュース
    tanimiyan
    tanimiyan 2015/12/27
    ビエルサが松本をどうにかできてたかというとそうでもないと思うけど、こんな話があったのね。
  • 鈴木啓太が浦和で現役引退を決めた心境 サポーターと築いた唯一無二のプロ人生 - スポーツナビ

    15年シーズンでの引退を決意した鈴木だが、過去にも何度か引退を考えていた時期があった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】 鈴木啓太が引退を考えた時期は何度かある。例えば2008シーズンに扁桃炎を患い、満足に事ができない状況から大きく体重を減らした時は、長らく選出されていた日本代表からも落選し、失意のどん底に落とされた。自身の能力を評価してくれたイビチャ・オシム監督が脳梗塞で倒れて日本代表監督を辞したことも影響し、その存在意義を見いだせずに苦悩したのもこの時期だった。 また、10年は今季に次いで、鈴木が所属チームの浦和レッズで出場機会を与えられなかったシーズンだった。同期の阿部勇樹が中核を成し、歳下の細貝萌(ブルサスポル/トルコ)が台頭したことで控えに回ることが多くなった彼は、気で現役から退くことを考えていた。彼にとって浦和のボランチは聖域であり、その任を得られないのであればここに居る意

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