旧満洲国通化省通化市(現吉林省通化市) 通化事件(つうかじけん)とは、国共内戦時期の中国東北部(かつてのいわゆる「満洲国」通化省通化市)で、当時の中華民国政府(国民党)軍側と共闘した日本人らによる武装叛乱蜂起と赤十字病院襲撃の失敗事件である。多くの日本人が犠牲となり、最大で3000人以上が死んだとされる。 通化は1946年2月3日当時、すでに実質的に中国共産党軍側によって占領されていた。失敗後の鎮圧過程で中国共産党軍(八路軍)および朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊、新八路軍)による中国国民党員や日本人らに対する制圧・逮捕・取調べ・判決・刑執行において、多数の冤罪・虐待や虐殺があったとされる。日本人犠牲者数について諸説あるが、少ない説で武装叛乱戦闘とその後の「処分」との合計で約800人、多い説では約3000人の死者が出たとされ、その中には蜂起に参加さえしていなかった一般市民もいたとみられる