2022年8月10日のブックマーク (4件)

  • 中世宮廷恋愛~政略結婚、精神的な愛、レディーファースト~

    キリスト教は、あくまで人間と神の間の愛という「無限の愛」がモデルです。 性欲から離れた「アガペー(神の愛)」の話です。 このキリスト教的な愛が、人間どうしの愛の中に入り込んできて、難しいことになります。 当時の時代背景 この新しいタイプの恋愛は、当時の時代状況を色濃く反映しています。 当時は封建社会であり、王の下に大領主たる大貴族がいて、その下には領主がいて、それぞれの領主の下に下級騎士が使えるというピラミッド構造になっています。 国同士、貴族同士で領地を奪い合い、血で血を洗う戦いをくり広げていました。 結婚政治の中での最重要カードの一つであり、貴族の女性は政治の道具として結婚させられるのが当たり前でした。(政略結婚) そのため、少女の頃から嫁ぎ先が決まっていたり、領主との間に20歳以上の年齢差があったり、まったく心が通い合っていないこともよくあることでした。 領主や大領主はさまざまな

    中世宮廷恋愛~政略結婚、精神的な愛、レディーファースト~
  • 宮廷風恋愛について(騎士編)|Un chevalier

    皆さま、お疲れ様です。 前回は宮廷風恋愛の貴婦人について紹介致しましたが、今回は騎士について紹介して行きます。 先ずおさらいですが、宮廷風恋愛とは騎士と貴婦人との不倫であり、取り上げるのは「Chanson d’amour 」やそれに伴って大流行した「恋愛遊戯」ではなく、現実的な側面としての内容で御座います。 貴婦人は大きく分けて3つの要因が絡み付いて騎士と不倫をしておりましたが、騎士はどうなのでしょうか。共に見て行きましょう。 騎士の目的も、大きく分けて3つでした。 ・自分より上位の女性と結婚する事により、財産や土地を得られる ・貴婦人に気に入られると、その旦那さんへ覚えて貰える ・騎士にとって、自己実現の場であった と言う事です。一つずつ見て行きます。 先ずは一つ目ですが、これが一番大きかったです。どれぐらい大きかったかと言うと、「遍歴の騎士」と呼ばれる旅をする騎士の目的の一つであったほ

    宮廷風恋愛について(騎士編)|Un chevalier
  • 「宮廷風恋愛」は、本当に行われていたのか?|Un chevalier

    皆さま、お久しぶりです。覚えて頂けていれば、当にありがたい限りです…。 今回投稿する内容は、「宮廷風恋愛当に行われていたのか?」についてです。このテーマは、知り合いや先生方、そしてSNSの方々から、ご質問という形で頂いておりました。 ツイートで書く内容ではないので、この場でお答えします。以下が私の最初の主張です。 「宮廷風恋愛」ってなんですか? 質問に質問を重ねてしまって大変申し訳ないのですが、一度この問題を考えてみたいです。全ては、その上でお答えします。 その次にお答えする答えとしては、 行われていなかった可能性の方が濃厚。 というものです。しかし、最終的には 12世紀には行われていたと考えられる というものになります。 そもそも、①「宮廷風恋愛」とは何なのか? ②定義付けられた「宮廷風恋愛」とは、何世紀以降の恋愛なのか? ③「宮廷風恋愛の原型」はどのようなものであったのか? これ

    「宮廷風恋愛」は、本当に行われていたのか?|Un chevalier
  • ミンネ - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年4月) ミンネ(独:Minne)は、中世ヨーロッパの騎士道精神に基づく恋愛である。ドイツ以外の国々では、仏:Amour courtois, 英:Courtly love(宮廷の愛、宮廷恋愛、宮廷風恋愛)などと呼ばれる。 概要[編集] 「ミンネ」 (minne)は中高ドイツ語で「回想、記憶」「友愛、愛情、好意、精神的な愛」を意味し、神の人間への愛、人間の神と隣人への愛も意味するが、とりわけ男女間の愛、性愛を意味する。この場合、精神的なものと官能的なものが含まれている[1]。 この語は、19世紀以来ドイツ文学史において、宮廷文学において多様にテーマ化された「愛」に対する用語として使われている。宮廷文化におい

    taron
    taron 2022/08/10
    メモ。文献紹介が豊富。