寝屋川市駅から現在拡幅工事中の府道18号対馬江大利線を西に進み、高柳方面に向かって右手、長栄寺町にある大利共同墓地にひときわ高く立派な碑があります。 「山崎渡船遭難者之墓」と刻まれ、裏面にはその事情が記されていますが、風化して全文を読むことはできません。建立年は「明治庚戊年八月十一日」と読めます。 ここは、現在の町名は長栄寺町ですが、明治時代は大利(九箇荘村)でした。 大利には江戸時代から「詠歌講」というのがありました。 詠歌をあげたり、詠歌おどりをすることは、これといった娯楽のないの時代、数少ない楽しみのひとつで、年に1、2回の観音霊場参りは村人の信仰とレクリエーションの場になっていました。 寝屋川市の発展は京阪電車の開通によるところが大きく、近代化の波は京阪電車とともにやってきたと言っても過言ではありません。京阪電車は、明治43(1910)年に天満橋~五条間が開通し、4月1日に開業の予