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  • データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム

    第一節 伝染病の流行 古代・中世の疫病 原始・古代の人たちは病気は邪神によって起こされるものと考えた。したがってその治療法は呪術的なものであって、祈祷によって神の崇りを除こうとしたり、削掛け・護符を所待して疫病から逃れようとした。とりわけ、一時的に流行する伝染性の疫病は、災いをもたらし死に導くはやり病として恐れおびえた。 『日書紀』には、崇神天皇五年の条「国の内に疾疫多く、民死亡者有り」を初見に、奈良時代以前の疫病流行十数回を記録している。このうち、伊予国と明記しているのは慶雲三年(七〇六)の飢疫と翌四年の疫の二回である。『続日紀』による奈良時代の疫病流行は二〇回で、伊予国の記載は天平宝字四年(七六〇)の疫のみであるが、諸国を通じて〝疫瘡〟=痘瘡の流行がしばしば記録されているので、伊予国も当然この中に含まれたであろう。痘瘡の流行で有名なのは、天平七年(七三五)大宰府管内に発生、翌々年こ

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