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例の巨乳着衣の女性が表紙のラノベについて、ある女性と議論を交わした。女性「不快と感じるかどうかは人によるって田中さんは言うけど、じゃあ蓮コラが表紙になった本が平積みされてたり、ビルの上の看板になっていたとしたら、田中さんは目をつぶって街を歩く?」と言われて答えられなかった。 — はぁとふる舞国土@3日目東ス26a (@keiichisennsei) September 22, 2018 胸を強調した女性の絵が表紙のラノベが、子供も目にするところに積まれていた件*1について、田中圭一氏がある女性と話したことらしいが、この件については、こういう個人レベルの快・不快の問題というよりは、社会のどの層の人たちにとっての快・不快の感覚が優先されているかということが、問題の本質だと思う。 今回問題になっているのは、ジェンダーの快・不快問題だ。多くのヘテロセクシャル男性にとっての快・不快の感覚が優先され、
「筋トレをするとモテる」 はたして、これは本当なのでしょうか? 子どもは高い場所や暗い場所を怖がります。不思議なのは高いところから落ちた経験もなく、暗い場所で怖い思いをしていないのに、子どもがこのような場所を怖がることです。 狩猟採集時代のヒトは森林や草原で生きてきました。安易に高い木や岩場に登ると、誤って落ちて命を失う可能性があります。安易に暗闇のなかで動き回ると獣に襲われて命を落とすでしょう。これに対して、高いところを怖がったり、暗闇を怖がって回避したヒトは、命を失うことなく、子孫を残すことができました。危険の多い狩猟採集時代では「恐怖」という感情をもったヒトが生存に有利であり、進化の過程で選択されてきたのです。そのため、その末裔である僕たちには恐怖という感情が生得的にインストールされています。 これは恐怖という感情だけに限りません。喜びや悲しみ、不安や怒りといったすべての感情が生存や
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