はてなからはじめてメールきた。 こちらははてなサポート窓口です。 平素は弊社サービスをご利用いただき、ありがとうございます。 さて、このたび、ご利用いただいているはてなブックマークにおいて はてな利用規約で禁止事項としているご利用状況が確認されましたため、 勝手ながら、はてなブックマークの表示を停止し、集計対象から外す 利用停止措置を取らせていただきました。 だと。 とりあえず反論メールはしてみたけどどうなるかね。 何せこっちは自記事にはてブしてみただけだ。もちろん1アカウント。 該当記事はこれ。やっぱやめとくw あれだけ顕著だったバズ部はドンドンエントリー入ってたのに こっちはセルクマだけで怒られるのかよ 癒着でもあるのかね?と疑いたくなったが、おれが悪いのかな。 とりあえずみんなはセルクマも控えた方がいいよ。 あーーしかしやってられんわ。 こっちは仕事サボりながらブログ更新してんのによ
先日、愛花と付き合い始めて一年を迎えて、僕は少し彼女と距離を置くことに決めた。ずっと一緒にいたいねと言っていた愛花を僕は裏切ってしまったのだろうか。しかし愛花はいつも同じことしか言わないのだ。録音されたセリフを何度も僕は聞いたのだ。 それで、凛子は違うことを言うのかと言うと、愛花と同じで、やっぱり同じセリフしか言わない。あたりまえなんだけど、僕はやっぱりがっかりした。それでも凛子はかわいい。凛子は愛花に比べるとどうしようもない女の子なんだけど、そういうところもかわいい。しかし、どうしようもないのはラブプラスのキャラクターを比較して感想を述べることに罪悪感を感じる僕だと思った。僕は僕が一番好きなんだ。 最近は……というよりも、いつもどおり、仕事は落ち着いていて、とくにすることもないのでさくらのVPSを契約して設定をした。ドメイン名も登録したし、ブログも設置したので、近いうちにこのブログで紹介
口を半開きにして、じゃっかん過呼吸気味になっている今の状況を僕は、とくに具体的に語ろうとは思わない。というか、そうすることはできない。それは僕の保身のため。それ以外の理由はない。僕はもはや腐りきった人間で、そのことについて考えないようにするか、あるいは卑屈に笑うことしかできない。 僕は、そういった事情もあって、すでにおそらく何も書けない人間になってしまったのだと思う。これはもしかしたら、確定的なことかもしれなくて、だから僕は今むしょうに、人生というものの穏やかさや、静かさや、幸せを感じながら、このまま死ねるならばどれほど楽だろうと思う。カーテンが風にゆれて、部屋に涼しい風が入ってくるような、そんな日曜日の午後に僕はもうこれ以上、ああこれ以上、自分から逃げ続けるのは嫌だと、柔らかい自身の、自身を責める手を涙を浮かべながら、頭を抱えている、そして文章を書いている。はやくどこかへ行って欲しいとい
今朝怖い夢を見て起きた。どうしてそんな夢をみることになったのか、いろいろと考えることはあるけど、それはいわゆるひとつの罰なのかもしれない、怠惰な自分に対する自分からの罰なのかもしれない、そんな詮無いことを考える、日曜日の朝だった。 僕が村上春樹を読む理由は、前にも何度か書いた気がするけど、何度書いても減るものではないからもう一度書こうと思う。事実から。 たぶん最初に読んだのは「海辺のカフカ」だった。ハードカバーのその本を友人に借りた。当然まず1ページ目から順番に読み進めるわけだけど、あまりの意味の分からなさに、数ページ読んでは本棚に戻し、次読むときは冒頭も忘れているから、また最初から読んだ。それを三回か四回繰り返して、よく憶えていないけど、たぶん暇だったのか、一度に全部を読んだ。 まったくおもしろくなかったような気がする。その当時、たぶん中学生だったような気がする。とはいえ、じゃあ今村上春
僕の場合、フィクションに対する見方と、現実に対する見方が違うからだと思う。どういうふうに違うのかは分からないけど。 例えばの話、ノンフィクションは嘘を付いてはいけないのかということがある。そう言うと大げさなので、「本当の話」で語られる話で嘘を付いてはいけないのかと言い換えてみる。いやしかし、そうなるとじゃあ僕は語られるすべてのスピリチュアルな話を嘘だと思っているのかということになる。そうなるともはや語られるのは僕の信心深さ的なものになるのだけど、べつにいつも通りだから大丈夫でしょう。 霊感の強い友達がいて……。そのように話が始まった場合、僕はもうそいつを殴り倒してしまいたくなる。信じる信じないというのは本当に難しい問題で、それ自体すら信じるか信じないかという問題なのではないかと思ってしまうのだが、きっと考えるということに精通している賢者の人には、適切な問題として何かを考えているのではないか
久しぶりにmixiにログインしたら、最新の日記が「彼女できた自慢」でした。自分で言うのもなんですが、さすが自分で書いただけあって、自分的には嫌いではないです。私小説的なものに憧れてます。 せっかくなので引用再掲。 2008年07月20日20:30のmixiの日記より。 最近更新してないよってトップページに書いてあったので、何か書こうか思ったのですが、mixiの日記って昔から何を書いたらいいのか分からないんですよね。 せっかくなので最近の話でも書こうかと思います。日記なので。 ブログでは書いてなかったのですが、僕にもとうとう彼女ができました! 彼女いない暦すなわち年齢だった僕にも、やっと春がやってきました。 名前を出すわけにもいかないので、仮にハルさんとしておきます。猫の恩返しが好きなので。 ハルさんとは大学で知り合いました。サークルなどにも入っていない僕には大学での出会いなんてあるわけがな
夜更かしすると過敏で過剰になって麻痺するので、文章を書きたくなります。 僕は行き詰っているのではなくて、上手く説明できないけど、とはいえ、最初から動いてはいなかった。 僕は志して、いくらか何かをして、形にならないまま今日がまた来た。明日がまた来る。 そういうふうにしか僕は生きられないのだろうか。僕の理想はどこにあるのだろう。抽象的な言葉、生きるとか、理想とか、そういう言葉で僕は昔からごまかして来ただろうか。それが僕の一番嫌うことではなかっただろうか。 とはいえ、とはいえだ、僕は少し困っている。このままだと僕は何も書けなくなるんじゃないかという心配がある。この心配は、かなり昔から抱えているし、そんなこと考えていないときには、まったく考えもしないことだ。ようは、忘れるまで楽しいことしていろってことで、悩みなんて身体が本調子じゃないから出てくるもので、メシ食って眠れば……それで解決することでしか
ある若い人のブログに、今後どうやって生きていくかということについて書かれたものがありました。僕は社会のことは分からないし、世代のことも分からないので、ただ23歳の自分として、自分が今後どうやって生きていこうと思っているのかを書こうと思います。 僕が文章を書くときにまず最初に思う「具体的に書こう」というテーマを常に頭に思い浮かべて……と思いますが、いつもどおり、できるだけ自分が傷つかないように具体性を欠いた文章を書くと思います。 現在、過去、未来の順番で書くことで、人生を点ではなく線で捉えることに重点を置きたいと考えています。 できるだけ長く書きます。でも飽きたらすぐに書くのをやめにして、今一番楽しい読書タイムを満喫します。 また、「ですます」だったりそうでなかったり、僕・俺・私・わっち・あたい、などの一人称の変化が著しい可能性がありますが、そんなこと個人のブログを読んで文句言う奴がいるとす
昨日の日付のものを見てもらえれば分かるけど、僕はあまりTwitterの積極的なユーザーではない。それに、今後すぐに飽きる可能性がある。そういうわけだから、そこから自分の傾向を読み取ろうと思っても僕自身難しい。書きたいことよりも、書きたいということが僕の欲求としては強くて、本当に嫌になるっていういつもの前口上で始めて見ました。 最近では、とくに中学校時代の同級生なんかがお笑い芸人でちょくちょくテレビなんか出ちゃったりして、僕なんかそれを自慢するくらいしか憂さ晴らしの法を知らないのだけど、などと言って、間違っても酒の席でマジに自慢なんかするんじゃないぞ見っとも無いって戒めているわけで、それもこれも僕の劣等感からくるもので、まったく本当に僕は自分が嫌になる。 ネットで知り合った人も、ゲームをコツコツと作って完成したそうで、テスト・デバッグプレイヤとしてサイトにスタッフ的に名前が載っちゃったりして
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