Les philosophies de Deleuze et de Richir assument toutes deux à la fois le régime de l’infondation et la granularité de la pensée. Au-...
![Le multiple et la pluralité - autour de Deleuze et Richir / Florian Forestier](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/dd8c6541aca544c841d5f10872a52805c5b72dd7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblogger.googleusercontent.com%2Fimg%2Fb%2FR29vZ2xl%2FAVvXsEgGcurY8tx6FYY1ETZ6lVljF_kTLNDu4-AQhW0PWC2gRY1hsOXuYz0xHa2EtMdABLfNHQsHYsQE5AUrkQVarF6TunABTjQWTw8ejmXml8VXbC1t1rf4hqHtagJE7Gza-Z-j4rL6T8R7COg%2Fw1200-h630-p-k-no-nu%2FAVT_Marc-Richir_5680.jpeg)
Descartes, Meditations, 2e objection et reponse Pascal, Pensees 昨日、植村君から「リシールって案外ナイーブですよ」といつもの調子で言われてしまったのでちょっと考えてみたのだが、結局リシールの位置づけは、 ・経験の本質的な部分は「認識の位相とは異なる位相」で現象する、というハイデガー、メルロ=ポンティ、レヴィナス以後の現象学の伝統に則り、 ・意味という現象とは何か(「そんなことに意味はない」というようなときの「意味」であって、もちろん名辞や命題の意味ではない。)、 ・意味がそこから由来する「現象」とは何か、という考察を軸にして、 ・ハイデガーやメルロ=ポンティが達成できなかった、そしてフッサール並みの極めて精緻で整合的な記述を行った。 ・たしかに起源主義的な傾向はあるし、ある種「感覚主義」的ではあるが(この点は僕が受け入れられな
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く