タグ

ブックマーク / tlop.sblo.jp (3)

  • 情報の深さ

    今読んでいる意識について書かれたで、おもしろい概念が紹介されていた。 ・情報の深さというのは情報の量ではなく「削ぎ取られた情報の量」である ・削ぎ取る情報がない均一さも、情報が削ぎ取られていない混沌さも情報としては浅い ・脳は毎秒約1100万ビットの情報を処理している。だが人が意識できるのは毎秒16ビット以下である。 例えばIRCやらtwitterで「無言リプライ」というものがある。無言リプライそのものには1ビットも情報はない。だけどリプライを飛ばされた側にも飛ばした側にもその意味するところはたちどころに分かる。それは何故かと言えばそれに至る文脈が有るわけで、無言リプライは削ぎ取られている文脈にこそ意味があるという事になる。 話は飛ぶ。twitterでとあるシンポジウムが中継されていて、興味深く読んだ。その中で映画監督黒沢清が話した事がある。要約すると ハリウッド映画「主体性、大人、

    情報の深さ
    taxo
    taxo 2010/03/11
    >「主体的」な映像は、むしろ視聴者を「受動的」にするのではなかろうか。
  • エンタテイメント

    エンタテイメントを広辞苑で調べると「演芸、余興」という素っ気ない答えしか載ってない。Wikipediaはもう少し詳しく書いてあるけど、ようするに「芸」という事なのは間違いないようだ。 だけど、この「芸」という言葉は言ってみれば拡張子"avi"と同じで、実際aviの中に入っているのはDivxかもしれないしHufyuvかもしれないしUtかもしれない。そうしたコーディックがなければ、制作物は正しくデコードされないのだ。 作者はエンコード(制作)には手間をかける。己のイメージを出来うる限り正確にデコード(視聴)してもらえるよう心を砕くなら出来うる限り広く通用しているコーディックを選ぶだろう。一方で己のイメージを出来うる限り正確にエンコードしようとする作者もいる。彼らは往々にエンコードせず無圧縮を選ぶが、視聴者には重すぎてそもそも再生もおぼつかない。だが、それでもその無圧縮の鮮烈なイメージを楽しめる

    エンタテイメント
    taxo
    taxo 2010/01/04
    エンコード(制作)とデコード(視聴)
  • 嵐が丘

    #某所で語るべきだという主張がされているような気がしたので、記事にする。 #朝になって読み直したらひどい文章だけど直さない事にする えこP作品 自分にとってはやはりこれは、えこPらしい技術主導の作品に感じられる。この作品の肝は「風」だ。少なくとも、この風の表現が作品の売りなることは計算のうちだろう。mayaとか使ってるのかなーとか考えてしまう。 しかしそれだけで作品が成り立つわけでなく、DikePの言うとおりこの作品には技術を見せる以上の意図があるし、多分その解釈は間違いない。 1:13以降、嵐の中、崖っぷちで歌い続ける姿は彼女のデビュー前の心象に思えた。家族の絆は断ち切られ、弔うべき悲しみも、分かち合うべき苦しみも、千早は一人で心に沈めた。彼女にはただ歌うしかなかった。 そう考えると、光は千早の「進むべき道」となる。さしのべる手は「つかみ取る」というよりも「おそるおそる手を出す」という感

    嵐が丘
  • 1